2002年、当時の北海道報道部で取材指揮や紙面編集の責任を負うデスク(次長)5人の末席に連なっていた私は夏の高校野球を担当した。
主催新聞社にとって地区大会が始まる前に朝刊道内面で連載を構えるのは不文律だった。甲子園を夢みて白球を追った日々を胸に、同じ夢を追う選手たちを率いる指導者に焦点を当てた。連載のタイトルを決めあぐねた担当記者から相談され、頭に浮かんだのは、井上陽水さん作詞・作曲「少年時代」。歌い出しが「夏が過ぎ……」である名曲の一節「思い出のあとさき」をもじり、「夏のあとさき」という分かったような、分からないような題名を付けた。
かつて「くみし易い」と目された沖縄県勢は、1999年春の選抜大会を沖縄尚学が初制覇して以降、強豪に数えられていた。「躍進の秘密を探る」という、これまた訳の分かったような、分からないような連載企画も立て、別の記者を沖縄へ派遣して甲子園の開幕直前に掲載した。この記事とは1ミリも関係ないのは百も承知だが、北海道勢では春夏を通じて初めて、駒大苫小牧が全国制覇を果たしたのは翌々年、2004年夏のことである。
そのころの参加校は南・北北海道あわせて270校を超えたと記憶する。東・西に分かれる東京都を上回り、全国最多だった。ところが2019年、16年ぶりに札幌へ舞い戻ったら、200チームを割っていた。時代の流れとはいえ、寂しさを禁じ得ない。
一方で、新時代の到来を告げるニュースもあった。日本ハムファイターズの新本拠地エスコンフィールドHOKKAIDOが7月の南・北大会の決勝と準決勝の舞台になるという。私事にわたるが、6月に定年を迎え、北海道を離れる。熱戦の模様は、高校野球総合サイトのバーチャル高校野球でも中継される。新たな聖地となる新球場での選手たちの躍動を、北海道高校野球の1ファンとして楽しみにしている。
朝日新聞 北海道支社 記者 田中啓介
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阿寒湖(釧路市)の大きなマリモは自然の神秘が生み出した植物だ。長さ3~4センチの糸状の藻がからまりあい、波の力で回転して直径20センチを超えるまで成長する。読む
新聞記者になって18年経つが、ここまで読者と密にやり取りした経験はなかった。紙面購読者を対象に開催している「朝日新聞デジタル体験会」に11月25日、記者として初めて登壇した時のことだ。読む
野生のヒグマをみたい。とはいえ、「ヒグマと会わないために」と書いてる手前、筋の通らない行動はできない。 読む
発生から9月で5年になった北海道胆振東部地震で、山の大規模表層崩壊があった厚真町吉野地区に通って、農業を営む早坂信一さん(58)を取材した。読む
「え? 飛行機を使うの?」。帯広在住の私。昨冬、網走に流氷観光に行こうと、乗り換え案内サイトで公共交通機関のルート検索をして驚いた。読む
夏の甲子園は慶応(神奈川)の優勝で幕を閉じました。今大会、北北海道の担当を務めました。読む
今年の春に北海道報道センターに着任しました。前任は東京本社のコンテンツ編成本部。読む
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2002年、当時の北海道報道部で取材指揮や紙面編集の責任を負うデスク(次長)5人の末席に連なっていた私は夏の高校野球を担当した。読む
同郷の歌人石川啄木ゆかりの函館に赴任して、真っ先に行ってみたかった場所がある。立待岬にある一家の墓でも、代用教員を務めた小学校でもない。「乞食(こじき)」の供養塔だ。読む
ふとした街の風景を見落としていないか。運転に集中しなければいけない車や、トンネルを走り続ける地下鉄を使っていると、時折、そんなふうに思う。読む
夏の甲子園で、宮城県の仙台育英高校が優勝してから約2カ月。北海道では、春の甲子園出場を目指す20校が戦う、秋季全道大会が終わりました。読む
札幌勤務で単身赴任となって半年になる。たまたま北大に通っていた長男の近くに住もうと、大学からほど近いところに部屋を借りた。読む
5月1日、札幌ドームでラグビー早明戦があった。北海道ラグビーフットボール協会が招待し、北海道では9年ぶりとなった対決にまつわる話を紹介したい。読む
記者の原稿をチェックするデスクという仕事をしているので、どうしても細かな言葉の使い方が気になるものです。読む
やっとだ。札幌市内に残る雪はどんどん少なくなり、街に明るさが戻ってきた。赴任して3月末でちょうど2年。今年こそ、マスクを外して札幌の街中を散策したい。読む