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>HOME >投稿塾 >VOL240「ふるさとの山」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『ふるさとの山』
関東平野で育ちました。山は見えませんでした。ごくたまに、冬のよく晴れた日に遠くに富士山が見えるくらい。
でも「ふるさとの山」とは言えません。だから、「山が見える場所に住みたい」と、いつも思っていました。
札幌に住むようになり、念願が叶いました。毎日藻岩山が見えます。手稲山も見えるし、名も知らない山もたくさん。天気がいいと尖った恵庭岳もよく見えます。
いつもそこにある「山」。これがふるさとの山というものなのでしょうか?
みなさんのふるさとの山はありますか?
ふるさとの山の思い出、どうぞお聞かせください。

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京都生まれなので、大文字の送り火を見た夏の日が懐かしいです。今も夏になると思い出します。(ななかまどさん)

小学生の頃に登った手稲山、途中なぜか道に並んでトンネルがあり、普通の道を歩く子とトンネルを歩く子とに分かれたのを覚えています。それと、頂上のテレビの電波塔がとても大きかったのも覚えています。手稲山が私のふるさとの山です。(ヨシヨシさん)

「ふるさとの山」といえば「三角山」が思い浮かびます。
全く山が見当たらないところで生まれ、札幌に住む様になって、自宅の窓から大きく目に入る山です。
自立して札幌を離れた子供たちも帰省すると「三角山」をみてホッとする様で、天気の良い夕方はベランダに出てビールを片手にふるさとの山を楽しんでいる様です。(HIDAMARIさん)

ふるさとの京都は三方を山に囲まれていて、とても身近な存在でした。ふらりとお寺や神社を訪れるとき、真夏に涼を求めるとき、東山や鞍馬山、北山など、自然と足が向いていました。札幌近郊の山々はどこか「陽」のイメージがありますが、京都の山は「静」を感じることが多く、疲れたときにひっそりと心身を包み込んでくれる、そんな印象でした。(まさきさん)

仰ること良くわかります。歴史の重みがそう感じさせるのでしょうか?京都の山々はまさに静謐そのものですね(H)

お弁当を持って、家族で登山に行ったことがあります。(ひで5555さん)

平野育ちなので、ふるさとの山はありません。(あーたんさん)

東京生まれの東京育ちなので「ふるさとの山」なるものの記憶はありません。ですが脳裏のある山は「富士山」です。取り分け11月3日の「東横線自由が丘」ホームから見える『夕刻の黒富士』が鮮明です!(fukutanさん)

三角山。実家のあった山の手からは本当に三角。山とおにぎりは三角という思い込みはここからきました。30分ほどで登れる山ですが、山頂からの眺めはいい。(ゆうすけさん)

さっぽろ子なので山の思い出はありませんが今は
藻岩山、手稲山、盤渓スキー場ナイター、暑寒別岳等四季の変化に癒されています(ひでこさん)

東京で生まれ育ち山の記憶はない。それでも強い想いの山がある。多摩全生園にある望郷台だ。ハンセン病患者が逃げない様に、患者自らに掘らせた深い溝の土を盛り上げたもの。山と言うには低いが、みんなそこに登り故郷の方を見て母や子の名前を呼んだという。ハンセン病の隔離がなくなった平成の時代に訪ねた。望郷台は伸びた木に覆われ、周りも高い建物が立ち、枝の隙間から長閑にテニスコートが見えた。(ゆらばーばさん)

ふるさとの山は大山と富士山。横浜市出身ですが、小学校が小高い丘の上にあり、通学路に長い階段があり、途中から神奈川のシンボルの大山と日本のシンボル富士山を毎日見ていました。校舎の3階や4階の教室では、教室からも見えてました。校歌には富士の山と歌詞があり、数年に1回帰省したとき、高台にあがり、2つの山をボーっと見ています。(かずのりさん)

小学生頃は冬、父にバスで手稲山にスキーに連れて行かれ、帰りは山から国道までスキーで降りてきました。運動オンチで全く上達せず、父にも置いていかれて不安で泣きたい気持ちになったことを覚えています。
中学時代は学校行事で秋に手稲山登山があり、季節によって全く別の顔を見せてくれるんだなぁと思ったものです。(ゆきんこさん)

札幌生まれ、札幌育ちの私にとって「ふるさとの山」といえば藻岩山です。生まれた時からすぐそこにある山に、子供の頃は特別何かを感じたことはありませんが、大きくなってから旅行で北海道を出た時、ふとした景色の中に山がないということに気が付きました。生まれ育った景色の中に大きな山があるということは、素敵なことなんだなぁと改めて実感しました!(ちろるさん)

私も大阪の街中育ちでふるさとの山を持っていません。 しかし24歳で結婚しいまの奈良県に新居を構えてからは山に囲まれた暮らしとなりました。あれから43年、いまでは山と緑のない生活は考えられなくなりました。 私の娘と息子はこの緑の中で生まれ育ちましたが、その娘と息子はいま大阪の街中に居を構えて暮らしています。 思えば不思議な巡りあわせですね。(うさみさん)

実家から樽前山が見えました。母は山のぽこっとした出っ張りを「たる」と呼んでました。
樽前山を見ると母を思い出します。(こまちさん)

小学校卒業まで神戸で育ちました。神戸市は南が海、北側が山、六甲山です。子供の頃は六甲山へよく連れて行ってもらいました。ロープウェイ初めてに乗ったのも、ここです。(michiさん)

「山」という文字はつくものの、山ではありませんが札幌の平岸に天神山がありました。私が通った小学校の近くにあり、そこで夏に行われる相馬神社のお祭りに、親からもらったなけなしの小遣いを手に握り行った記憶が子供の頃の原風景として残っています。(父さん)

天神山初登場!確かに山とは言えませんが豊平区民にはおなじみのスポットですね(H)

わたしのふるさとの山は樺戸山地のピンネシリです!!小中学校の校歌にも登場します!(みかりんさん)

いつも山(手稲山)を見て過ごしてきました。どんな時も同じ風景があるというのは良いものです。(consatetuさん)

海のある町で 育ったので 山は 遠くにある景色 ですね(ソッチ さん)

三角山です。家に帰るとき遠くの正面に見えてました。(よーちゃん女王さん)

夕日に染まる遊楽部岳です
5~6月ころ残雪に西日があたる姿が
お気に入りです
せたな町大成区花歌の海岸から見えるのですが山だけを切り取って見れば
アルプスの山のような!
(ほっちゃれケンさん)

江差町の笹山です。
登山で山小屋に泊まったり、行者ニンニクを摘んだり、小学校の校歌にも最初の歌詞に歌われています。(Os-sanさん)

小樽 天狗山 冬はスキーをしたり、夏は合宿したり、思い出は沢山(にゃんにゃんにゃんこさん)

手稲山のふもとに住んでいまして、普段は特に何も考えずに過ごしているのですが旭川の主人の実家で数日を過ごし緊張と猫かぶりで疲弊して…(笑)
高速道路で帰ってくる途中新川インター過ぎたあたりから手稲山がドーンと正面に見えるんですね。それを見ると「あー帰ってきたな」「私お疲れ様!」とほっとしたのを覚えています。今では嫁も図々しくなりそれほど疲弊することもなくなりました。(mikioさん)

高速道路の真正面にそびえる手稲山、確かに迫力あります(H)

札幌生まれの札幌育ちですが、25歳まで住んでいた場所から見える藻岩山の稜線が、市内のなじみのない場所に行くと見えるものと違うのが不思議でした。今住んでいる場所から見える三角山は、最初な完璧な三角でしたが、その後高層の建物に邪魔されて、上しか見えないのが悲しいです。山崩れとかクマの心配もあるので、あまり近いのもちょっと怖いと思えるふるさとの山です。(猫野コネさん)

私も関東平野出身なのでふるさとの山と呼べるものはありません。
でも、冬の寒い日に電車から見える富士山が心の支えになっています。(シオミミさん)

私が少年時代に住んでいた町からは遥か彼方にピンネシリが見えていました。いつか行ってみたいと思っていたのですが、大人になってから場所を調べるととても遠いので諦めましたが、今でも綺麗な山並みが思い出されます。(よしみさん)

 小樽育ちですが、30台半ばで日高山系の町に転勤になりました。冬は-30度以下、夏は30度以上と気候が厳しい所でしたが、朝夕の山の景色は見る度に違う表情がありました。海もいいけど山もいいなぁと思いながら3年暮らしました。家の前のキノコ狩りも楽しみの一つでしたが、ラクヨウは地元の方は見向きもしません。お味噌汁にこれでもかと言う位入れて一人で美味しく頂きました。毎年秋になると思い出す30年前の思い出です。
(クロちゃんさん)

駒ヶ岳が故郷の山です。いつもひっそりとそこにありましたが、実は活火山らしくて、いつ噴火してもおかしくない山です。昔は富士山のような形だったそうですが噴火で今のすがたになったそう。今の方が断然良いと思います。(マリさん)

確かに駒ヶ岳のシルエットはシャープで格好良いですね(H)

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