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今月の投稿テーマ
『お正月メモリー』
2014年もいよいよ歳末!そこで今回のテーマは『お正月の思い出』です。家族や親せきとワイワイ過ごした子どもの頃のお正月、ひたすらアルバイトに明け暮れた学生時代の年末年始、国内・海外の旅行先で迎えた印象的なニューイヤー……など、皆さんのお正月エピソードや思い出を教えてください。

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この数年はお正月休みは3日程度しかなかったので、普段の休日とあまり変わらないですが!今年は2月に13年間 勤めた会社を退職して、今までゆっくり過ごしているので、1月5日から新しい仕事が決まっているので、来年のお正月は去年とは違った気持ちで迎えるかも?!(あんなさん)

初めてのアルバイトは年賀状の仕分けでした。高校生がたくさん採用されていました。朝は職員さんたちとラジオ体操、15時にはおやつが出て、ほっこりする楽しい仕事でした。
今は、民営化をされたので、あんなにほっこりな感じではないかな。。。
仕事は立ち仕事で全て手作業で、仕分けしましたが、友達をどちらが早く仕分けられるかなど、競争したりして真剣に働きました。頂いたお給料は、嬉しすぎて使えず、郵便局に貯金しました。自分名義での通帳を作ったのも初めてのお正月の思い出です。
その頃は、まだお正月も静かでした。1月1日もバイトで出かけましたが、人通りも少なくお店もしまっていました。元旦に一人で出かけたのも初めてでした。大人になれた気がした高校1年生のお正月でした。(まんたさん)

学生時代、最後のお正月に駅ビルに入っている四川料理店でアルバイト。
仙台の名物初売りはたくさんの人でごったがえし、前夜から並んでいた人たちは午前中に家に帰る。にぎわいのなかで、店もお昼は客がいっぱい!大忙しの厨房のなかでたいへんでした。(ほわさん)

毎年実家で寝正月です。(潤子さん)

札幌で生まれ育ち、横浜で暮らした後、熊本に引っ越して最初のお正月、丸いお餅を見た時の驚きは忘れられません。(すとれいしーぷさん)

特に印象的なこともなく、毎年、おせちを作って年越し蕎麦を食べて、同じことの繰り返し。でもこれが、変わらず新年を迎えられているということでいいんです。(シルバーサンさん)

主人の実家の新年会に行くと、そこは「◯◯道場」という体育館で、親戚が50人ぐらい集まっていました。子供たちはドタバタ好きなだけ駆け回っていて圧倒されました。(のんちゃんさん)

お正月の思い出といったら、親戚中集まって大晦日からの年越し( *´艸`)そして元旦に皆で御節食べて、おとそ飲んで、着物着て初詣に行くのが毎年の行事でした!今は遠い北海道に嫁にきてしまい、そんなお正月も過ごせてませんが、懐かしく楽しい思い出です(*^^*)(ユキさん)

自宅での大掃除と、実家に帰省するので、二箇所の大掃除を20年間続けました。
はっきり言って、疲れてしまいとてもしんどい20年間でしたが、実家の母の喜ぶ顔を今でも思い浮かべます!ひいらぎるい(ひいらぎるいさん)

やはり雑煮ですね。博多から少し離れた田舎に生家がありました。博多と同じように豪華雑煮です。具が多いので前の晩に味付けした具を種類ごとに串に刺していました。手伝いながらちょっとつまみ食いなどして正月を迎える心の準備をしていました。 (maさん)

韓国のリッツカールトンホテルでカウントダウンをしました。息子は40℃の熱でしたが、無理やり起こして、素敵な思い出を焼き付けました。(つうたんさん)

子供時代の元旦に転んでケガして婆さんから「それは神様が1年間気をつけなさいとお告げだよ」言われドキドキして過ごしました。迷信だとあとから気づきました。(メロンさん)

元旦が母の誕生日なので、お仕事で関東に行った年も何とか最終便で実家に戻り元旦の母の誕生日を祝いました。最近は子供も小さいので家で過ごすことが多いのでゆっくりとした正月と母の誕生日を祝っています。(ムーミンさん)

家族が祖母の家に帰省する中で、私だけ実家に残り受験勉強してました。辛かった〜。今思えば、そんなに頑張らなくてもよかったのでは⁈と思ってしまいます。(ちさ子さん)

子供の頃は、1月1日に親戚の家にそれぞれ一品ずつ持ち寄ってみんなで集まり、映画を観たりして過ごすのが、恒例でした。いとこ達と半日楽しく過ごし、帰る時は少し物悲しくなったものです。(ルナルナさん)

年末年始、私と弟でおばあちゃんの家に泊まりに行ったとき、昔の人なので、歯を磨きたいと言ったら「ガムかんだからもういい」と言われ、子ども心にビックリしたのを覚えています。(ハルさん)

年末は、家族みんなが揃って年越しをするのが例年の行事でしたが、父が亡くなって、母が入院すると、年越しは自分の家族だけで過ごすようになりました。正直例年の行事は、行っている両親も大変そうでしたし、自分たち子供も家庭を持つと面倒くさいかなと思っていましたが・・・亡くなって3年、全く自分の親戚たちとは顔は合わせません。大変だったけど家族が1年に1度ぐらい顔を合わせる日があっても良かったと思い。今年は、妻の親を自分の家庭の年越しに招待しました。どのような年越しになるのか今から楽しみです。
(まささん)

子供の頃は従兄弟の家にいつも行っていました
花札やトランプオセロなどゲームをしたり
お年玉をもらったり楽しかったです(yapooさん)

60年も前の学生時代、年末のアルバイトで稼ごうと暖房の泊まった学生寮で年末年始を過ごしたが、風邪にかかって1週間寝込むことに。折角稼いだアルバイト代も風邪の治療費に消えてしまい悔しい想い出になりました。(富士山さん)

初めて新聞配達をしたとき、元日の特別号を配達してから銭湯に行って、いつの間にか日付けが変わっていました。郵便局のアルバイトはもちろん年賀状なので、元日出勤!時代は変わって、子供がアルバイトをし、終電に間に合わないから迎えに行くと車の中で元日を迎えました。(YSHRさん)

竹富島の民宿でのんびり過ごしたことが一番です。大晦日の紅白歌合戦に中島みゆきが出演した年のことです。(ジョニーさん)

NYのカウントダウン 寒かったです(satonekoさん)

私が住んでいた地域では二年参りという、大晦日から1日にかけて
年越ししながら初詣をするという習慣があり、
子どもの頃は家族で夜出かけ大混雑の神社でお参りをしました。
雪国なので雪が降りびしょ濡れになりながら寒さに震え
お参りをしたという過酷な記憶があります。(そらてりさん)

大学生時代友人からバイトの鬼と言われるほどバイトばかりしてました。家庭教師や塾、カラオケ店とかけもち。年越しはカラオケ店で働いてる時忙しくバタバタして年越してたという感じ。年始もカラオケ店。おかげで車や教習所代は自分で支払いました。(キラリさん)

社会人になって初めてのお正月、大みそかから遊びすぎて親戚の家でいびきをかきながらねてしまいました!みんなには笑いを提供できたようです・・・(ゆうこ87さん)

丁度22年前の1/1 突発性顔面麻痺にかかって76日入院しました。現在、同じ右側
で発症。今年の正月はなしです。正月はよい思い出はありません。(junrenapapaさん)

 2014年のお正月は、今まで生きてきた中で『最も寂しいもの』でした。何が寂しかったかというと、それはお正月に食べた『お餅の数』がわずか1個ということです。三度の食事は支給されるのですが、お雑煮で出された餅が、わずか1個、しかも、大好きな本当の餅ではなく、韓国モチがたった1個。何度かスーパーで売っている餅を見ましたが、手が出ませんでした。というのも、現在怪我療養中・無職・無収入のため、更生施設暮らしで、経済的余裕がなく手が出なかったのです来年こそは、本当の餅が食べれるように、今から小銭をためてスーパーの餅が買えるように、生活必需品の支出を切り詰めています。(decakoujiさん)

先日古い写真が出てきました。友人と20歳のころ伊良子岬に初日の出を見に行きました。楽しかったです。(ごとうえさん)

子ども達が生まれる前は、アルバイトで年末年始関係なく働いていました。家族と休みに出かけるのはなかったです。
(ナルさん)

2年前のお正月が思い出深いです。結婚して数年たち、なかなか子宝に恵まれなかったのですが、ひょいとその年末妊娠発覚!!毎年恒例だった実家の四国帰省もキャンセル。初めて夫婦二人きりのお正月。私の実家のお雑煮を作った事がなかったのですが、体調も良かったので、初めて挑戦!!二人で偶然であった縁起物の獅子舞に頭を噛んでもらったり、結婚して初めてゆっくり、また幸せなお正月を過ごしました。(グーミックスさん)

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