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今月の投稿テーマ
『お正月メモリー』

2年連続、年末に38度超えの熱を出し風邪をひき、寝正月が続いているので今年こそは!!と10月からマスク常備で会社へ出勤しています(^-^)/(yukihime123さん)

スーパーに勤めていた時、年末閉店してから深夜最後に店内を見回りました。
あんなにお客様がいたのにお化けがでそうなくらい静寂な中で新年を迎えました。
会社で新年とは侘しかったなあと思い出しますね。(世界平和さん)

お正月には小学生でも縁起物ということで「赤玉ワイン」飲ませてくれました。今、酒豪なのはこのおかげなのかも・・・(pinkyさん)

30年以上、大晦日まで仕事で、正月は休みが一日と二日だけなので、成人してからは特に印象深い思い出というのがありません。(ヒロポンさん)

学生時代にスーパーのレジ係や郵便局の年賀状仕分けのアルバイトをしたことがあります。大晦日も元旦もなく働いた時に「社会人になったら国民の休日には休める仕事に就きたい」と心に誓ったことを思い出します。(pug8000jpさん)

子供の頃のお正月は、両親が長男・長女であったため叔父さん、叔母さんその子供たちと20人くらいの来客がありとても賑やかでした。お年玉もたくさん頂き、
待ち遠しくもあったお正月でした。(HIDAMARIさん)

旦那の実家は麻雀をしながら年越しするのが定番です。
31日だけではなく、元旦も家族で徹マンしてます。
自分の実家ではありえないので、びっくりです!!(かえるさん)

初日の出を見るために,愛犬と一緒に朝5:30頃から藻岩山に登ったのが懐かしい思い出です。初日の出はとてもきれいでした。
山頂は人で人で…びっくりしました。おまけに犬も何匹かいて,さらにびっくり!
愛犬はもう12歳・・・もう藻岩山には登れないかもしれませんが・・・,今度は夫婦2人で初日の出登頂実現するつもりです。
(ぜろぴーさん)

今回は家族で温泉にいきます。
(ちりんさん)

お正月は祖母の家へ泊まりに行き、おせち料理を食べるのが恒例でした。いつまでもお元気でいて欲しい。(いちごみるくさん)

看護師だった頃は、30日から2日まで夜勤を自ら希望していました
自宅に帰れない患者さんや急病の方まで様々
日常とは違う業務にお正月を感じていました
皆さんが正月明けで忙しくなる頃、のんびり休んでいました
あちこち混んでなくて行きたいところもスムーズで、しっかり楽しめました(ペガチャンさん)

お正月は毎年デパートの初売りへ行きます。
食品の福袋を購入するのが楽しみです。(ちーちゃんさん)

学生の頃、お正月に帰省すると高校や中学時代の仲の良かった友人達が集まりワイワイと同窓会もどきをしていたのが凄く楽しかったです。今ではそれぞれ家族があり、結婚もし、仕事も有りと、全く集まる事がなくなりましたが、いつか皆で又集まれるといいなと思ってます!(きょこたんさん)

2年前のお正月が思い出深いです。結婚して数年たち、なかなか子宝に恵まれなかったのですが、ひょいとその年末妊娠発覚!!毎年恒例だった実家の四国帰省もキャンセル。初めて夫婦二人きりのお正月。私の実家のお雑煮を作った事がなかったのですが、体調も良かったので、初めて挑戦!!二人で偶然であった縁起物の獅子舞に頭を噛んでもらったり、結婚して初めてゆっくり、また幸せなお正月を過ごしました。(グーミックスさん)

子ども達が生まれる前は、アルバイトで年末年始関係なく働いていました。家族と休みに出かけるのはなかったです。
(ナルさん)

先日古い写真が出てきました。友人と20歳のころ伊良子岬に初日の出を見に行きました。楽しかったです。(ごとうえさん)

 2014年のお正月は、今まで生きてきた中で『最も寂しいもの』でした。何が寂しかったかというと、それはお正月に食べた『お餅の数』がわずか1個ということです。三度の食事は支給されるのですが、お雑煮で出された餅が、わずか1個、しかも、大好きな本当の餅ではなく、韓国モチがたった1個。何度かスーパーで売っている餅を見ましたが、手が出ませんでした。というのも、現在怪我療養中・無職・無収入のため、更生施設暮らしで、経済的余裕がなく手が出なかったのです来年こそは、本当の餅が食べれるように、今から小銭をためてスーパーの餅が買えるように、生活必需品の支出を切り詰めています。(decakoujiさん)

丁度22年前の1/1 突発性顔面麻痺にかかって76日入院しました。現在、同じ右側
で発症。今年の正月はなしです。正月はよい思い出はありません。(junrenapapaさん)

社会人になって初めてのお正月、大みそかから遊びすぎて親戚の家でいびきをかきながらねてしまいました!みんなには笑いを提供できたようです・・・(ゆうこ87さん)

大学生時代友人からバイトの鬼と言われるほどバイトばかりしてました。家庭教師や塾、カラオケ店とかけもち。年越しはカラオケ店で働いてる時忙しくバタバタして年越してたという感じ。年始もカラオケ店。おかげで車や教習所代は自分で支払いました。(キラリさん)

私が住んでいた地域では二年参りという、大晦日から1日にかけて
年越ししながら初詣をするという習慣があり、
子どもの頃は家族で夜出かけ大混雑の神社でお参りをしました。
雪国なので雪が降りびしょ濡れになりながら寒さに震え
お参りをしたという過酷な記憶があります。(そらてりさん)

NYのカウントダウン 寒かったです(satonekoさん)

竹富島の民宿でのんびり過ごしたことが一番です。大晦日の紅白歌合戦に中島みゆきが出演した年のことです。(ジョニーさん)

初めて新聞配達をしたとき、元日の特別号を配達してから銭湯に行って、いつの間にか日付けが変わっていました。郵便局のアルバイトはもちろん年賀状なので、元日出勤!時代は変わって、子供がアルバイトをし、終電に間に合わないから迎えに行くと車の中で元日を迎えました。(YSHRさん)

60年も前の学生時代、年末のアルバイトで稼ごうと暖房の泊まった学生寮で年末年始を過ごしたが、風邪にかかって1週間寝込むことに。折角稼いだアルバイト代も風邪の治療費に消えてしまい悔しい想い出になりました。(富士山さん)

子供の頃は従兄弟の家にいつも行っていました
花札やトランプオセロなどゲームをしたり
お年玉をもらったり楽しかったです(yapooさん)

年末は、家族みんなが揃って年越しをするのが例年の行事でしたが、父が亡くなって、母が入院すると、年越しは自分の家族だけで過ごすようになりました。正直例年の行事は、行っている両親も大変そうでしたし、自分たち子供も家庭を持つと面倒くさいかなと思っていましたが・・・亡くなって3年、全く自分の親戚たちとは顔は合わせません。大変だったけど家族が1年に1度ぐらい顔を合わせる日があっても良かったと思い。今年は、妻の親を自分の家庭の年越しに招待しました。どのような年越しになるのか今から楽しみです。
(まささん)

年末年始、私と弟でおばあちゃんの家に泊まりに行ったとき、昔の人なので、歯を磨きたいと言ったら「ガムかんだからもういい」と言われ、子ども心にビックリしたのを覚えています。(ハルさん)

子供の頃は、1月1日に親戚の家にそれぞれ一品ずつ持ち寄ってみんなで集まり、映画を観たりして過ごすのが、恒例でした。いとこ達と半日楽しく過ごし、帰る時は少し物悲しくなったものです。(ルナルナさん)

家族が祖母の家に帰省する中で、私だけ実家に残り受験勉強してました。辛かった〜。今思えば、そんなに頑張らなくてもよかったのでは⁈と思ってしまいます。(ちさ子さん)

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