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今月の投稿テーマ
『お正月メモリー』
2014年もいよいよ歳末!そこで今回のテーマは『お正月の思い出』です。家族や親せきとワイワイ過ごした子どもの頃のお正月、ひたすらアルバイトに明け暮れた学生時代の年末年始、国内・海外の旅行先で迎えた印象的なニューイヤー……など、皆さんのお正月エピソードや思い出を教えてください。

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青森県に住んでいた小学生の頃、父の友人が東京から、同県の馬門(まかど)温泉に遊びによく来ていました。電話がかかって来て我々家族も合流することに。ボーイスカウトの隊長をしていた父の友人から簡単なロープワークやロープを使った遊び、また、知らなかったトランプゲームなどを教わり、二家族で楽しく過ごしました。(AKS51さん)

今でも 子供の頃のお正月が 一番 楽しかった! 祖父母の家に 叔父 叔母 従兄弟が集まり 百人一首 花札 クジを引いたり 祖父の手作りの大きな凧をあげたり 凧には長い縄でしっぽが付いていました。 寝る時が またまた楽しかった。
(ダチョウのたまごさん)

お正月は、毎年、おせち料理をたべてテレビをみてだらだらすごしています。。。。(tomさん)

私が小学生の時の母の実家でのお正月風景。母は5人兄弟でしたが、祖父母の家に毎年元旦にそれぞれの家族が集合して総勢24人になりました。従妹との会話も弾み、料理好きなおばさんのたくさんのご馳走にもお腹がいっぱいでした。当時の集合写真を社会人になった時、作文と共に会社での広報に載せられ、それがきっかけで投稿が趣味になり今もしています。子供の頃の懐かしい一場面です。(ねこママさん)

仕事の関係で、救急車の中で新年を迎えたこともあります。
年賀状を書く暇なく、紅白を見ながら書き上げて、出しに行ったら、ドカ雪で家に入れなくなったことも…
おしゃれな正月は、友人が宝塚の初日の招待券を当てて、観劇後に京都に…あの雑煮の味は忘れられません!(雪桜さん)

初めて、温泉でお正月を迎えた時。最高でした(みっちゃんさん)

正月は毎年近くの親戚が集まりワイワイと賑やかに過ごします。年々子供たちが大きくなっているのに驚かされます。(No888さん)

私が小学生だった頃、正月には必ず、父が用意してくれた駄菓子を景品にした
トランプゲームで遊びました。点数に応じてお菓子を配分するので、妹には負けまいと必死でゲームに取り組みました。(ヤマガラさん)

お雑煮(takuさん)

システムエンジニアのため毎年お正月はシステム変更作業で出勤しています。
ただ今年はたまたま作業がないため5連休となりますが、経験がないのでどう過ごそうか考え中です。(とらじろうさん)

小学生の時、正月は父の勤めている会社の人が挨拶に来て、酔っ払いがたくさん!私たち子どもは奥の部屋でトランプのドーナツゲームをして大いに盛り上がり、笑いすぎてうるさいと怒られました。今は家族でテレビを見ながらの静かな正月です。(hmwestさん)

必ず紅白みていた年末年始。いまはまったく見ていないです。(ちゃいさん)

家族全員が次次々インフルエンザにかかり大変なお正月を迎えた事があります。主人が年末から1番最初で体調が悪いまま海外へ出張、子供達はAとBにかかり入院、そして最後に私がAB両方にかかるけど、ベッドが足りずに入院は出来ませんでした。家に帰って寝ていたら5歳と10歳の子供達が2人で私のお世話を一生懸命してくれてとても助かり感謝した事を思い出しましたよ。あの時はありがとうね。(イーヨーさん)

うま煮と茶碗蒸しが恒例です。(まりもさん)

子供のころの思い出は、ほとんど初詣に行ったことがなかった、という事です。(gachapinさん)

年末から家族でスキー場近くの民宿で泊まりお正月はずっとスキーをしていました。
おせち料理を作らなくて済むし息子二人も喜ぶし楽でした。(pureさん)

私立大学四年の直前が父親が倒れ、家業が途絶えてしまった事実と借金の不安を抱え、母親と交代で東室蘭の病院で付き添いをしていました。たまに学校に向かうと友の「決まったさぁ」明るい声が恨めしく想い、おのずと足も札幌から遠のき、やっと札幌の学習塾で面接までこぎつけても「、貴方は田舎に帰って、お母さんを支えないと・・・」との不採用通知。人口五千人程度の田舎に就職がある訳はなく、父親のベットの横で『焼きそば弁当』ばかり食べていました(お蔭でトラウマになって今は食べれません。)。でも「あと、一年、あと、一年、」と決めて生活費と学費の捻出の為にバイト、バイトの毎日でした。薄野でのバイトでは酔っ払いに絡まれ、背中に吐瀉物を流された事もありました。卒業が見えかけた大晦日も手稲のスーパーで蜜柑を売っていたら別の大学の二回生に「(就職も決まっていないのに)こんな事をして良いんんですか?」とまで言われ、初詣列車で札幌駅に向かい、始発列車を待って東室蘭に向かって母親と病院のロビーで、互いに疲労と不安で黙り込んでいた元旦の事が今でも鮮明に思い出されます。(熊五郎さん)

今から30年以上も前、大学時代、関東近隣の国公立大学に北海道から単身生活をしていました。親からも貴重な仕送りをしてもらいましたが、授業料や小遣いなどいろいろなバイトをしながら苦学生として勉学に励んでいました。中でも思いで深いのは、冬休み北海道の実家には帰らず、1か月程、12月下旬から1月中旬まで正月返上で、山梨県の御坂峠にあった民宿で住み込みで部屋の清掃・調理場の手伝い・風呂場の清掃などをして働きました。民宿先のご家族は、とても優しい方たちで、バイト学生は私一人でしたが、朝・昼・夕食を一緒に分け隔て無く接してくださり、接客業の勉強をさせていただきました。今はもうその民宿は無くなってしまいましたが人の温かさを教えていただき、また、河口湖や富士山の絶景を望むことができ生涯忘れる事ができない思い出です。(northcarrotさん)

突然入院して大晦日、お正月を病院で過ごした
病室は一人きり。今、思い返しても悲しい思い出です。
(ぱくぱくさん)

子供のころ、元旦には一族郎党二十数名が参集し祖父のもとにワイワイと賑やかでした。孫も子供も芸を披露したり、皆で歌を歌ったり、百人一首やゲームをしたり、楽しい想い出です。普段では出ないご馳走も沢山ありましたが、その頃は、サイダー・リボンシトロンことにオレンジリボンシトロンが大好きでした。(あおいうみさん)

数年前に大病を患ってからすべからく減塩生活を送っています。正月料理は濃い目の味付けになってしまいますので、目だけで楽しみたいと思っています。薄味も慣れるといいものですよ。(りゅうちゃんさん)

子供たちを連れ私の実家に2日に、妻の実家に3日に行くのが恒例でした。今は両親が亡くなり、三が日家にいます。楽は楽ですが、寂しいものです。(はーちゃんさん)

4年前家族でハワイへ行きました(ばいそんずさん)

煮しめを食べました(samaruさん)

子供の頃は、朝方届く年賀状が楽しみで、届くまで起きていようと誓うのに、気づくとコタツで寝てしまっていて布団まで運ばれている...そんな大みそかでした。最近は年賀状を貰う機会も減って寂しいなぁ。(こしあんぱんださん)

独身のときは病棟勤務で、年末年始必ず夜勤をしていました。患者者さんと今年はいい年でありますようにと新年の挨拶をしていました。(じゅんさん)

社会人1年目、会社の先輩から最北端はどこかと聞かれ、暮れに礼文島のスコトン岬を見に行き、正月を稚内で迎えましたのが懐かしい思い出です。因みに、会社は名古屋でh仕事納めの翌日から移動しました。。(エロダスノッコさん)

お年玉を皆さんからいただいたこと。(とらうまさん)

昭和は遠くなりにけりで、子供の頃のお正月の雰囲気を思い出し懐かしさでせつなくなります。それだけ自分が年をとったのも、せつなくなりますね~(ちゃんさん)

久しぶりに札幌に戻ってきたので、子供や孫と過ごすお正月になるのが楽しみです。(としちゃんさん)

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