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家族全員が次次々インフルエンザにかかり大変なお正月を迎えた事があります。主人が年末から1番最初で体調が悪いまま海外へ出張、子供達はAとBにかかり入院、そして最後に私がAB両方にかかるけど、ベッドが足りずに入院は出来ませんでした。家に帰って寝ていたら5歳と10歳の子供達が2人で私のお世話を一生懸命してくれてとても助かり感謝した事を思い出しましたよ。あの時はありがとうね。(イーヨーさん)
必ず紅白みていた年末年始。いまはまったく見ていないです。(ちゃいさん)
小学生の時、正月は父の勤めている会社の人が挨拶に来て、酔っ払いがたくさん!私たち子どもは奥の部屋でトランプのドーナツゲームをして大いに盛り上がり、笑いすぎてうるさいと怒られました。今は家族でテレビを見ながらの静かな正月です。(hmwestさん)
システムエンジニアのため毎年お正月はシステム変更作業で出勤しています。 ただ今年はたまたま作業がないため5連休となりますが、経験がないのでどう過ごそうか考え中です。(とらじろうさん)
お雑煮(takuさん)
私が小学生だった頃、正月には必ず、父が用意してくれた駄菓子を景品にした トランプゲームで遊びました。点数に応じてお菓子を配分するので、妹には負けまいと必死でゲームに取り組みました。(ヤマガラさん)
正月は毎年近くの親戚が集まりワイワイと賑やかに過ごします。年々子供たちが大きくなっているのに驚かされます。(No888さん)
初めて、温泉でお正月を迎えた時。最高でした(みっちゃんさん)
仕事の関係で、救急車の中で新年を迎えたこともあります。 年賀状を書く暇なく、紅白を見ながら書き上げて、出しに行ったら、ドカ雪で家に入れなくなったことも… おしゃれな正月は、友人が宝塚の初日の招待券を当てて、観劇後に京都に…あの雑煮の味は忘れられません!(雪桜さん)
私が小学生の時の母の実家でのお正月風景。母は5人兄弟でしたが、祖父母の家に毎年元旦にそれぞれの家族が集合して総勢24人になりました。従妹との会話も弾み、料理好きなおばさんのたくさんのご馳走にもお腹がいっぱいでした。当時の集合写真を社会人になった時、作文と共に会社での広報に載せられ、それがきっかけで投稿が趣味になり今もしています。子供の頃の懐かしい一場面です。(ねこママさん)
お正月は、毎年、おせち料理をたべてテレビをみてだらだらすごしています。。。。(tomさん)
今でも 子供の頃のお正月が 一番 楽しかった! 祖父母の家に 叔父 叔母 従兄弟が集まり 百人一首 花札 クジを引いたり 祖父の手作りの大きな凧をあげたり 凧には長い縄でしっぽが付いていました。 寝る時が またまた楽しかった。 (ダチョウのたまごさん)
青森県に住んでいた小学生の頃、父の友人が東京から、同県の馬門(まかど)温泉に遊びによく来ていました。電話がかかって来て我々家族も合流することに。ボーイスカウトの隊長をしていた父の友人から簡単なロープワークやロープを使った遊び、また、知らなかったトランプゲームなどを教わり、二家族で楽しく過ごしました。(AKS51さん)
最近の正月は、成田空港でのお屠蘇の振る舞い位でしか感じることができない。目的地がオーストラリアだったり、UAEだったりしても、クリスマスの名残りの飾り付けが取り忘れられている位で、お供えもお雑煮も旨煮もない。子供が小さかった頃には、妻が重箱に料理を詰めて、一家みんなで着物姿で年越しに実家に集まって飲んだり、食べたりしたものです。父も母も弟も亡くなった今は、妻と一緒に孫に会いに出掛ける日に変わっています。 (よっちゃんさん)
故郷の地区の長だった義父と家族と共に、 12月31日の夜中から、神社の冷たい板敷に座って、 新年を迎える儀式に参加し、新春のめでたさや厳かさなど感じる余裕もなく、 ただただ「寒さとのたたかい!」だったのを、 今では懐かしい思い出です。 今でもあの習慣は続けられているのでしょうか? 故郷には地縁もなくなりましたが、毎年新年に思い出す一コマです。 (さんびきのははさん)
いつもは料理をしない私(夫・父)ですが、お雑煮だけは必ず作ります。我が家のお正月の味なのです。(ミラクルさん)
子供が中学生までは、ニセコで松明滑走をして新年を迎えていました。抽選会でも当たることはありませんでしたが、楽しい思い出です。ある年は、NHKの行く年来る年の中継対象となったとの説明があり、家に連絡して録画してもらいましたが、自分達の後方は映っていましたが、結局雰囲気を感じただけの映像になってしまって寂しかった記憶があります。(jack10さん)
毎年祖母からお年玉を貰った記憶です。(すいれんさん)
子供時代は、実家が八百屋でしたので、大晦日も商売をしており、その手伝いをしていました。当日は母親が早めに家に帰って年取りの準備をして、父親と店を閉めて家に帰り、急いで銭湯に行って、帰ってから準備をして年取りを迎えました。慌ただしい中にも、嬉しいひと時でした。(帰ってきた遊び人さん)
子供の時の思い出は、正月親戚が集まり、お酒が入ってくると、トランプで賭けごとをしたことです。大人と子供が2人1組になり、小額のお金をかけるのですが、残ったお金は子供たちがもらえます。お年玉以外の臨時収入でした。違法(?)かどうかわかりませんが、楽しい思い出です。(hanaさん)
普段は夫婦ともとても忙しかったため、新婚旅行は年末年始の休みを利用するしかなく、2011年のお正月は旅行先の西表島で迎えました。 日本なんですが、さすが南国の地、少し肌寒いものの雰囲気は冬とはほど遠く、離島のリゾートホテルで迎えたお正月はとても暖かくかんじ、ホテル内で年末年始を祝うため催されたエイサーの踊りや、日本的な書き初め、ロビーで振る舞われた新春のお酒などとっても楽しいイベントが盛りだくさんでした。 ロマンチックな新婚旅行とは少し違いましたが(笑)、日常の忙しさや緊張の日々から解き放たれ、二人思う存分南国のイベントを楽しんだお正月でした。 (なっこさん)
地味な正月です。(プー母さん)
年末は高校山岳部OBの集まりで山小屋に集合。 昼は山歩きと山スキー、夜は酒盛りに明け暮れ、 年を越してから里に下りてきたものでした。 いつしかその集まりから外れてしまいました。(ちゃたさん)
私が小さい頃の正月は、各自にそれぞれお膳に料理が用意されていた。(ライオン丸さん)
大雪で元旦空、雪掻きで大変だった年があったなあ。(北北親父さん)
実家に帰って朝からビール!!最高ですね!!(みーちゃん11さん)
年末に吹雪で飛行機が飛ばず予定通り帰られなくなったこともあります。(はらぽちゃ君さん)
年末年始は郵便局でハガキの仕分けのバイトしてました。 近くにバイト出来るコンビニなど当時無かったので…(すーらいるさん)
中学生の頃の話です。 毎年、仲良しの友達と北海道神宮に初詣に行きました。 大晦日から出かけ、年が明けたら、みんなで祝杯をあげたことが思い出です。 今は、家族とゆっくり迎える正月に幸せを感じます。(はなちゃんさん)
小さい頃のお正月の思い出は食べ物。今のように冷蔵庫も無く隙間風の入る台所に塩引き鮭がぶら下がり、お餅は一斗缶に入れ凍らせて保存、豚肉は近所共同で1頭を買って分け合い味噌漬け 粕漬け、他雪の中で冷凍保存。お雑煮にはイクラが煮えて入ってて・・・今は元旦からスーパーで新鮮な物が手に入り「ごちそう」と云う言葉も死語になりつつありますね。(ぽこおばさんさん)