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お正月は家族でスキーに行くことが多かったです。若い頃は友人たちと過ごす年末年始が楽しかったのですが、だんだんまた家族ですごすことが増えました。最近の年末年始の楽しみは母と姉と私の三人で丸一日かけて御節を作り、それをそれぞれの家に持っていって食べることです。豪華な御節も良いですが、手作りの美味しさにかなうものはありませんね。(rumiikoさん)
今年は得意の焼き豚を作ろうと思います。おせちは何年前からか既製品になってます。昔は全部作ったものですけど、年々手抜きになりましたね。子供や孫も来てにぎやかになると思いますが、かわいがってた猫が天国に旅立ってちょっと寂しいお正月かもです・・・(ちぃさん)
現役時にペルーの日本大使館主催の「恒例年始パーティー」に招待されたときの豪華な日本食(握り鮨その他豪華絢爛)に舌づつみ、素っ気ない海外の正月風景にあって遠い日本の正月が懐かしかった。 (かなさんさん)
小学生のころ 祖父に 花札と麻雀を教えてもらいました(かっぱさん)
学生時代は 大晦日の夜 初詣にオールナイトで出かけたものだった。今はそんな元気もなく 寝ている方が良い・・(ちいちゃんさん)
長年の東京暮らしに終止符を打ち、退職を機に札幌での生活を始めました。 雪景色を眺めながらの年末年始。北の味覚に舌鼓をうちながら、家族で過ごす幸せを噛みしめています。(mikannさん)
毎年家族で大晦日は紅白を見て過ごし、初詣もせず寝正月です。 雪が積もると雪掻きに外にでるぐらいです。(エイちゃんさん)
バンコクの川沿いのホテルで見た、新年を祝う花火がとても綺麗だった。 (jasmacさん)
子供の頃、お正月には必ず高熱を出していました。(みのんさん)
大晦日に風邪を引き、今年のお正月は寝込んでいました… 来年こそ楽しいお正月にしたいものです!(ショウジさん)
年末の出来事で、必ず思い出される出来事。それは、40数年前、紅白を家族で見ていたときのことです。男性アイドルが出て、歌い出した途端、父が「こんな奴が紅白に出るなんて」と、突然テレビを消ししまったことです。それは、当時高校生の私が大好きだったアイドルで、紅白出場を楽しみにしていた歌手でした。当時の大晦日は、紅白を見る以外楽しい番組もなく、テレビを消されたら大好きなアイドルを見ることも出来ず、父と私は大げんかになりました。母が仲介に入り、父は茶の間の横の寝室で布団に入って寝てしまい、私はテレビの音量を小さくして紅白を見ていました。あれから、父と紅白を一緒に見ることはなくなりました。娘が男性アイドルに熱をあげているのがいやだったのでしょう。今でも母が、年末になると「あの紅白の時ねぇ」と話題にします。私はあれ以降アイドルから一線をおいていましたが、ここ数年前、40代を過ぎてから、いわゆる”ジャニオタ”になった事を打ち明けられずにいます。(猫のみーぼさん)
大掃除が終らずお正月からトイレ掃除をした切なさ、です。(天茶布さん)
20代後半の頃、友人と二人でグアムに行き、年始は東京の友人のアパートで一緒に過ごした事を思い出します。(ひろチンさん)
特別なことはとくに何もなく、受験生時代はひたすら勉強だった。といっても、あまり捗りもせず。ごろごろして1日を過ごせば、自己嫌悪に陥り、1日を後悔。(あさん)
子供達が育ったので、思い出といえば、家族そろっての神社へのお参りと、生鮮食料品の商売をしている家内の実家に行って、配達や、オードブル用のエビの皮むきを手伝ったことです。(みのりさん)
高校生のとき、夜遅くには外出できなかったため 当時の彼氏と年が変わった瞬間に 「明けましておめでとう!」と言おうと約束をしていましたが、 同じことを考えた人が多くいたため、 電話線がパンクし、電話できず反省しました… ほろ苦い思い出です。(ayaさん)
家族全員がそろったお正月は10年まえに一回あっただけ、またあのときのように楽しいお正月を迎える日がくることを願ってます。(のんちゃんさん)
クリスマスから正月7日までヨーロッパ旅行に行ってきました。お正月のミサはパリのノートルダム寺院でしたがおごそかで素敵でした。ヨーロッパは良かったのですが日本を離れてみて日本の良さを痛感しました。(koyukiさん)
正月といえば、家族や親戚が集まり、カルタ取りに花札、トランプをしています。お節料理は大晦日の晩から食べるのは北海道ならではみたいです(笑)駅伝は毎年TVにかけていますね。(katokiraさん)
小学3年生のお正月に父親とおじさんと一緒にかまくらを作って、中でおもちを食べた時の美味しさを今でも忘れません。(ダルセツさん)
年賀はがきの仕分けアルバイト。時給が360円だったかなぁ(kosukosuさん)
父は公務員だったのですが、魚好きが嵩じて、何かあるといつも鮨を握ってくれました。毎年お正月はお鮨屋さんのカウンターよろしく家族をテーブルの前に座らせ、お好みの鮨を振舞ってくれました。数年前に亡くなりましたが、大人になってからお店で鮨を食べるようになって、あらためて父の鮨はお店に負けず劣らず美味しかったんだと思いました。(うすたさん)
1946年ころ、戦争の恐怖からはやっと解放されたが、最下級生jの身で先輩のの目をかすめて女学生に声をかけるなどは夢のまた夢。正月の板かるただけが一瞬の幸せ。するめの脚と幸せを噛みしめたのが忘れられません。今はその憧れの君とほろ苦いビターチョコを楽しんでいます。80歳を超えた正月も素敵です。(tetsuさん)
シンガポールでお正月と空港に向かったが、途中で不幸の連絡。そのまま引き返して帰ってきました。お正月の準備も買い物もしていなく、コンビニ弁当で正月を迎えました。(クマさんさん)
終戦後間もない頃のお正月は お雑煮を食べて 寝ているだけでした(sapporozooさん)
昨年、家族みんなで年越しグアム旅行に行きました!(じゅんにーさん)
福袋のために朝から並んだね。(ちょんさん)
大晦日まで仕事し、元旦の朝実家へ帰るとき、一緒に年越してくれた友人の旦那さんがおにぎりをにぎって持たせてくれたこと。(ヒロミさん)
年末年始には本州から息子一家が来る。孫を囲んでの新年は「嬉しくもあり楽しくもあり、また格別気分」しかしながら「別れはつらい・・・」(KOTOHAさん)
高校生の時年賀はがきのく分けのバイトをしていて、集配順序に分ける時たまたま自分の住居地域になり、元旦になる前に我が家に来る予定の年賀状を見てしまったこと。 小学生の時ちょっと気になっていた男の子の年賀状も見つけ、思わず読んじゃった。(時効ですね)(ジャッキーさん)