このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。

画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク

>HOME >投稿塾 >VOL181「昔、炭鉱があった。」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『昔、炭鉱があった。』
北海道の近代の歴史は、炭鉱を抜きに語ることはできないでしょう。ある時期、北海道はまさに石炭産業と共にありました。
私の石炭の思い出は小学校のときの教室のストーブです。道外の小学校でしたが、だるまストーブの燃料は石炭。たきつけ用の薪、新聞紙、石炭を取りに行くのは日直の役目。帰りの掃除のときの石炭の燃え殻の匂いは、今も記憶に焼き付いています。
きっと読者のみなさまは、直接炭鉱と関わりがあった方も多いことでしょう。炭鉱全盛のころ、街の様子はどんなだったのでしょう。
今年、石炭、鉄工、港湾の「炭鉄港」が日本遺産に制定された北海道。炭鉱や石炭に関する思いを、どうぞお寄せください。

全10ページの1ページ目

ずいぶん久しぶりに炭鉱、石灰と言う単語を目にしました。そういえば小、中学校の時には体育館に大きなストーブが置かれ、何とも言えない独特な匂いが立ち込めていたのを思い出しました。あれから随分と時間が経ち電気製品が主流になってストーブを目にすることもなくなりました。長く寒い冬を越すために北海道ではストーブが今も欠かせないのでしょうか。(このあーさん)

私の子供のころは、練炭ゃストーブ等で石炭は毎日利用している身近な燃料でした。いつの間にか石油や天然ガスに変わって石炭産業は忘れられてきましたが、日本遺産に制定されいつまでも日本の発展の歴史を支えた石炭産業として後世に伝えてほしいと思います。(すみちゃん元気さん)

炭鉱は見覚えがあるようなないような気がしていますが。。。

街はおそらく結構緊迫していたモードだったのではないかと思います。(マスタクさん)

炭鉱のイメージはあまりないです(あきあきさん)

小学校のときの教室の石炭ストーブでパンを焼いて食べた思い出があります(みちさん)

小・中学の教室のストーブは、完全にだるまストーブでした。席替えで廊下側のときは寒く、ストーブの周辺は熱帯で大変だったのを思い出します。(のるんさん)

私の居住地、福岡県大牟田市は昔、「三池炭鉱」で栄えた炭鉱町でした。
炭鉱爆発事故でたくさんの炭鉱さんが亡くなったり、炭鉱に関わる病人も多く、その関連病院もあります。
北海道に続き閉山後は、さらに街の衰退化を進め、かつてのにぎやかな面影はありません。
そのかわり、現在平穏安全・安心な街へとなったしだい。
災害もわりに少なく、とても住みやすい街です。(かましんさん)

炭鉱とは無縁の人生です。
でも、すごくノスタルジーを感じます。(ひーたんゆうゆうさん)

いまは閉鎖されている所が多いが仕事が大変だったイメージ。(ありがとうありさん)

どうしよう…特に思いが…あっ、九州も炭鉱や製鉄所などがあり、北九州の「八幡製鉄所」には小学生の頃に工場見学へ行きました!!
今は、その製鉄所はありませんが…懐かしいです。(製鉄所の遊休地が「スペースワールド」と言うテーマパークになりましたが、2018年1月1日閉園)(ぴのこだっくさん)

小学3年生頃までは学校のストーブは石炭だった。その頃はまだ蒸気機関車も走っていたが、日常生活から石炭が見えなくなって来た頃だったと思い浮かべた。(Fe04さん)

色々な時代があって今があるのだなぁと思いました.(あさひこさん)

炭鉱といえば重労働、危険というイメージがあります。石炭といえばSL。そのくらいの知識しかありません。(やっちゃんさん)

炭鉱で働いていた叔父の写真はどれも笑顔ばかりでした。
顔も服も汚れていたけど幸せな雰囲気が漂うものが多かったです。(おていちゃんさん)

30年前に亡くなった祖父が炭鉱で働いていました。
直接聞いたわけではなく祖母から聞いたのですが。
炭鉱というと祖父の事を思い出します。
祖父ともっと色々話せたら良かったな~(ふくタローさん)

日本遺産に制定された北海道「炭鉄港」に機会があれば是非行ってみたいと思います。(レイチェルさん)

石炭のことはあまり詳しくはわからないですが、夕張の石炭の歴史村に子供の頃何度か遊びに行った思い出があります。
おばあちゃん家も今もまだ薪ストーブを使っていて世代ではなくても昔ながらのものというのはどこか落ち着かせてくれます。
石炭の歴史ももっと知る機会があれば学びたいです。(タヌさん)

父親の転勤で引っ越した先は、炭鉱が閉山し、さびれ始めた街でした。中学校の学校祭で、術場や外来がそのまま残された病院で肝だめしをするという、今では考えられないイベントがありました。(チョッパーさん)

参考になりました。(はなちゃん3さん)

子供の頃は、石炭ストーブでした。 当時、札幌は雪玉が造りにくいほど寒かった!(ユキちゃんさん)

最初の就職先は社名が・・石炭鉱業。今考えると自慢できる社名だったかな・・・。(サン太とアニさん)

今は環境問題や温暖化の対策で悪者扱いの石炭ですが、一時期は日本を活気づけていたのも事実です。もっと対策を考えて効果的に使用できないのかと考えてしまいます。(よしぼうさん)

行ってみたい(satoさん)

石炭は火起こしには欠かせませんよね。
私の家は、小さい頃から大人数で知り合いの川を貸し切ってBBQをするのが恒例でしたので、小さな頃から、炭の匂いと誰かが演奏する音楽の音を聞きながら、焚き火を囲んでチェアでうたた寝することがよくありました。
夜の森はとても美しくて、今でも忘れることができない大変幻想的な情景です。
炭の匂いは、当時の素晴らしい記憶を瞬時に蘇らせてくれるので大好きです。(もちもちさん)

幼い頃暮らしていた場所は、九州の小さな町でした。駅のすぐそばで、近くに大手運送業者の事務所が有り、国鉄の貨物で運んできた石炭を一時的に保管していました。保管といっても地面にそのまま山積みするのです。雨が降れば真っ黒な水が流れ出していました。近所の子供と一緒に石炭の山に登って遊んでいました。現代の世の中では考えられないような事ですが、今となっては懐かしい思い出のひとこまになっています。(オレンジロードさん)

北海道の歴史は炭鉱て人びとを呼び発展していった。衰退した現代でもぜひにルーツ的に知るべきである。(はっしーさん)

炭鉱には関わりはありませんでしたが、小学校の頃、教室に石炭ストーブがあって、上にのっている桶の水を絶やさないように入れていたのを思い出しました。(まーさん)

私の年齢では石炭などは馴染みがありません。
特に、大阪の都会なのでガス、電気が主です。
なのでこういう機会でしか歴史、風土に興味が持てません。
エネルギー不足などが謳われますが、たまには過去の大事なことに目を向ける事も大切なのかと思いました。(れとるとさん)

石炭と聞くと、中学生の時の研修旅行で行った夕張を思い出します。石炭の歴史村で、坑道のようなところを歩いて、とても涼しく、イメージと違って不思議な感じがしたのを思い出します。(りょうさん)

だるまストーブねえ、懐かしい。でも 石炭取りに行った記憶はあるけど 掃除は他の人がしていたので。。。。(パステルさん)

全10ページ中の1ページ目(299コメント中の30コメント)

投稿塾バックナンバー


先頭へ戻る