朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから(朝日IDの登録ページが開きます)
北海道の近代の歴史は、炭鉱を抜きに語ることはできないでしょう。ある時期、北海道はまさに石炭産業と共にありました。
私の石炭の思い出は小学校のときの教室のストーブです。道外の小学校でしたが、だるまストーブの燃料は石炭。たきつけ用の薪、新聞紙、石炭を取りに行くのは日直の役目。帰りの掃除のときの石炭の燃え殻の匂いは、今も記憶に焼き付いています。
きっと読者のみなさまは、直接炭鉱と関わりがあった方も多いことでしょう。炭鉱全盛のころ、街の様子はどんなだったのでしょう。
今年、石炭、鉄工、港湾の「炭鉄港」が日本遺産に制定された北海道。炭鉱や石炭に関する思いを、どうぞお寄せください。
立派な小学生。よく頑張りました!
幌内は全盛期100軒を超えるお店があったそうですね 今は多くの地区で居住者が0人になっています
鉄道ファンがうらやむ貴重な体験です!
確かに「くべる」って日常で使わなくなりました
かつての日本の発展を、炭鉱が支えていましたね。
今は「釧路コールマイン」となり、唯一残る坑内掘りの炭鉱となりましたね。
全10ページ中の4ページ目(299コメント中の30コメント)