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今月の投稿テーマ
『昔、炭鉱があった。』
北海道の近代の歴史は、炭鉱を抜きに語ることはできないでしょう。ある時期、北海道はまさに石炭産業と共にありました。
私の石炭の思い出は小学校のときの教室のストーブです。道外の小学校でしたが、だるまストーブの燃料は石炭。たきつけ用の薪、新聞紙、石炭を取りに行くのは日直の役目。帰りの掃除のときの石炭の燃え殻の匂いは、今も記憶に焼き付いています。
きっと読者のみなさまは、直接炭鉱と関わりがあった方も多いことでしょう。炭鉱全盛のころ、街の様子はどんなだったのでしょう。
今年、石炭、鉄工、港湾の「炭鉄港」が日本遺産に制定された北海道。炭鉱や石炭に関する思いを、どうぞお寄せください。

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私のひいおじいちゃんは幾春別の炭鉱夫だったと聞いています。
おじいちゃんの弟も同じです。
38歳の私にとって石炭はあまり身近ではありません。
でも私が今元気に生きているのは遡れば、ひいおじいちゃんが炭鉱で頑張って働いていたおかげなのだろうと感謝しています。
今度小学生の娘を夕張炭鉱へ見学に連れていきたいと思ってます。
(ちえみさん)

子供のころのお風呂が、石炭風呂だったので、火をつけるのが大変だった記憶があります。(はるひさん)

私の地元は製鉄が盛んな町でした。小学生の時にグラウンドに炉を作り、自分たちで取りに行った砂鉄を使用し、石炭を燃料に鉄を作る体験をしました。陽がだんだんと落ちていく中、空高く炎や火の粉が舞う様子を今でも鮮明に覚えています。(はっくるべりーさん)

父から思い出話で聞いたことあります(@さん)

高校生の時、教室には石炭ストーブがあり、その日担当の生徒が石炭置き場まで重い石炭を2人で教室まで運ぶ役割がありました。とても重たかった記憶。懐かしいです。ゴウゴウと燃えるストーブの周りで女子生徒が雑談をする様子がとても絵になっていた気がします。(ねこママさん)

北海道には10年位前に移転してきたので、炭鉱全盛の頃のことは分かりません。
ただ「幸せの黄色いハンカチ」?の映画は楽しく見た記憶があります。古き良き時代のおおらかさに触れたような、ほのぼのとした印象が残っています。(パイプ伯父さんさん)

時代は変わるものなんだね。(daisukineriさん)

小学校、中学校の時の石炭ストーブですね。(モコパパさん)

三重県人です。特に炭鉱や石炭に関する思いはないのですが、北海道の厳しい冬の生活をイメージしようとすると、そこには必ずストーブから漏れる赤い炎があります。寒さ厳しい北海道で長年生活されている方々にとって、思い出の多くが、ストーブや雪に結びついておられるのでしょうね。その思い出が楽しいものであることを願います。(キャットさん)

石炭は貴重な日本のエネルギーでした。そしてこれからもその必要性は見直されると思います。
そして日本の発展を支えた炭鉱の仕事の厳しさは、これからも伝えて行かなくてはいけません。(netcatさん)

実家が北海道白老町。

実家を建てる前のばあちゃん家のお風呂が石炭風呂だったのをよく覚えてる。
(ひまわりさん)

炭鉱に関係はありませんでしたが、小学校5年の時、6クラス全てに5人程度の転校生がありました。炭鉱の閉山に伴う移動です、時代を感じました。(Charlieさん)

炭鉱は歴史の教科書のイメージ。実際に見た事は無く知識も乏しい。
いつかその場に訪れて見てみたい。(くまさん903ビタンさん)

微妙に記憶があるくらいです。幼稚園のストーブが石炭だったような?先生に近付いてはダメと言われていたような?
あと、記憶にあるのは、遠足で夕張炭鉱見学に行ったけど、あんまり覚えていない。子供の頃の記憶って残らないものですね。(ぽちさん)

炭鉱、石炭は馴染みが無く、ゲームの世界ではよく採取してました。(なかさん)

北海道の歴史も深いものがあると思いました。(さふぃRX7さん)

たいへんだったとおもいます(せいじさん)

私は炭鉱などは教科書で知るだけですが、とても危険で辛い仕事だったと聞きます。ただそういう仕事があったからこそ日本は発展したと思うので、感謝の気持ちを持っています。(つみきさん)

小学校に通ってるときは石炭ストーブを使ってました。(くろまめさん)

私の小学校のストーブも石炭でした。
給食のパンを石炭ストーブで焼くと、抜群に美味しいんですよね~。
思い出します。(りんご娘さん)

大事だった。(まこっさんさん)

炭鉱は行ったことがないので、是非炭鉱の街に旅行などに行ってみたいです。(さなぎさん)

当時、夫の会社は暖房手当として石炭の現物支給でした。足り無くなる事はありませんでした。(フクちゃんさん)

建て替える前の一年間だけ、高校の教室は石炭ストーブでした。
高校生ともなれば昼休みになるとストーブの上で缶コーヒーを温めるのはもちろん、手作り用のポップコーンを弾かせて食べる者、塩辛を持参してアルミホイルの上で焼き始める者など、今思うと令和の時代ではあり得ない事を数々やりました。
5時間目が始まる時には、教室中、色々な匂いが充満していましたが先生たちはあえて何も言わずに見過ごしてくれていました。
こんな思い出があるのも恐らく私達世代が最後なのでしょうね。(たぬきつねこさん)

ジンギスカンした時は流石に怒られました。

昔は家も学校も暖房は石炭ストーブ。
学校では石炭くべながら勉強したっけ。
ストーブの上でお餅やスルメを焼いたり、懐かしいな(amiさん)

すっごく過酷で寒そうなイメージなのですが、日本遺産に制定されたのであれば、ひとめ見てみたいし、旅行がてら、おいしいものを食べたいな、とのんきに考えてしまいます。 北海道に行ったことがないので想像できないなーーー(クララさん)

あまり馴染みがないけれど、貴重な資源である石炭を有効的に活用してほしいです。(Muuuさん)

小学校のストーブはコークスでした。ストーブの近くの席では顔が真っ赤になったなぁ。(こすこすさん)

自分の生活の中で直接触れたことがあるのは、小学校の石炭ストーブの当番で石炭を採りに行ったことと、親戚が火鉢に練炭を入れて暖をとっていたので納屋のようなところに沢山積んでいるのを見た事があるくらいです。匂いがが独特だったことと服に付いたらあとが厄介なので手で直接触ったりしないように気をつけていたことなどを思い出します。(にゃあさん)

小学校の時の暖房は石炭でした。家も石炭でしたし石炭を汲んでくるのも子どもの役目でした。運ぶではなくて汲んでくるでした。(のみすけさん)

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