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幼少期には札幌市南区の山が連なる中で育ち、自然にたっぷり親しみ成長しました。若葉の頃、きのこ、こくわ、山葡萄などの収穫期と山は私を魅了して病みませんでした。今でも海より山に安らぎを感じます。(きょーこFさん)
グラウンドのスケートリンクでスピードスケートをしていた小学校時代、いつも同じ大きさで見守ってくれる山が応援してくれているようでした。(あさひさん)
釧路に住んでいた頃、母の実家に遊びに行く時はよく山に行くと言ってました。鶴居村上幌呂は山の中で自然と一体になって遊べる貴重な空間でした。60代男性(寅猫さん)
皆が「裏山」と呼ぶ山は、左手に行くと鎌倉までのハイキングコースです。右手には自然公園への道があって、小学生の頃こどもだけでよく出入りしていました。自分の子どもがあんなところ日常的に出入りしていたらと思うとゾッとします。よく事件とか無かったよなぁ…と思います。(のんちゃんさん)
天狗山 いつも窓から見てます(JoeBlackさん)
ふるさとでは、ありませんが弘前旅行に行ったときみた岩木山 感動しました 山を見るだけで遠くからでも優しく守ってくれているようでパワをいただきました また、いつか青森観光に行きたいです(パムさん)
弘前私も行ってみたいです。桜祭りの頃の弘前城綺麗でしょうね(H)
ふるさとの山は桑田山です。 2月になると早咲きの雪割桜が有名です花見に最高。 また近くに温泉旅館があって入浴すると癒されます。(いごっそさん)
うちの近所には標高200m程の小さな山があってそこから地元を見渡せることが出来ます。冬は夜景がキレイに見えたり春は桜を見ることが出来たりと四季ごとに楽しめる山で大好きです。(きつねはねつきさん)
札幌南区育ち、ふるさとの山はもちろん藻岩山 小学校は登山遠足もあったし中学の スキー学習も藻岩山 スキー履いたまま家まで帰ったなぁー(もちろん禁止されてましたよ)(つっぴさん)
特にふるさとの山とゆうものはないですね(やんさん)
子供の頃、近くの山で、スキーを楽しみました(Kazuさん)
山は色々な精霊は宿るのでちゃんとお祈りしてから登山します!!(野球好きさん)
北海道に住んでいると 山が当たり前のように見えます。以前の会社の同僚が「東京にいた時は山が見えなかった。札幌では山が普通に見える」といっていたことを思い出されました。でも、わたしどの山がなんていうのかわかりません。本当に毎日見ているのに。 子供の頃 函館に住んでいて、校歌にも歌われていた「駒ヶ岳」が美しかったこと、登ったことを思い出しました。(わたわたさん)
本当の山ではありませんが、炭鉱のズリ山が思い出です。 炭鉱の町で生まれ育ち、ズリ山を登る炭車の屋根の除雪作業をした事がありました。 良い思い出です!(tontonさん)
函館山でしょうかね。小学5年生まで函館で育ちました。立待岬には祖先の墓があり墓参時に立ち寄ります。なにより、札幌(居住)から函館に向かいうと、七飯付近で函館山が目に飛び込んできます。帰ってきたな~と感じます。(タカヨッコさん)
藻岩山、楽勝だと思って登ったら意外ときつかった(ヨウイチさん)
『山』という漢字を写し取ったような姿。それは島根県の三瓶山(さんべさん)です。私は三瓶山を含む国立公園の傍らで育ちました。小・中・高校のいずれの校歌の歌詞にも山の姿が出てくるので、春夏秋冬の山の映像と歌は、共に思い出となっています。(akebibiwaさん)
小学生の頃は三角山が近くで遠足で行き、手稲山は遠足や登山で行き、山は身近でした。札幌に行き山を見るとほっとします。今は遠くに恵庭岳や樽前山を青空をバックに見るととても綺麗で、見惚れます。(ゆーままさん)
生まれは本州ですが、育ったのは千歳です。郊外から見える樽前山、恵庭岳は美しくホッとして青春時代に戻ります。(茶トラさん)
札幌で育ったので手稲山です。子供の頃から、「手稲山の頂上が雲で覆われると雨が降る」とみんなが言っていたことを、手稲山を見るたびに思いだされます(あきひろさん)
それってかなりの確率で本当のことだと思います(H)
函館山です。中学生ぐらいから何度も登りました。徒歩でも、今はわかりませんが登山道を適当にショートカットすると30分もかからず登れました。忘れられないのは、高校の時大晦日の夜、人がいっぱいいたこと。大学生の時函館公園での花見のあと、酔った勢いで一升瓶持ったまま頂上まで行ったことです。持っていたものが悪かったのか、周りの人には随分引かれたことをよく覚えています。(masaさん)
函館山 (マイチさん)
石狩平野で育ったのでふるさとの山というのはありませんが、今は藻岩山のよく見える所に住んでいます。主人がこの土地を気に入ったのは山が見えるから。おまけに豊平川も近く、散歩のたびに「山があって川があって最高だ〜!」と満足しています。(ぴあぴあさん)
自宅から藻岩山を眺めることができるのは札幌市民でも限られた地域の特権ですね(H)
静岡は、どこにいても富士山が見えるものと思っていたら、ある日“そうではない”ことを知り“そうだったんだ”と思ったものの、ある日友達に「家から桜島が見えるんでしょう?」と問われ、改めて“城山が邪魔して見えない”ことに気付き、“静岡はどこからでも富士山が見える”と思ったことと同じだなと・・思い込みと慣れに改めて考えてしまいました。(のんちゃんさん)
幼少時代を過ごした、三笠市弥生に合った通称三角山が記憶に有ります。既に閉山された炭鉱町でしたが、ご近所付き合いに置いては、買物に行く等の留守する時も施錠は必要なく、炊事遠足やスキー遠足もあり、山菜採りには、夕食後にみんなでこの三角山に行ってました。昨今、賑わしている熊も出てこなく…今、思えば、よくまあ行ったものだと思ってます。凄く懐しく思いますが、今は、車窓から眺めるだけとなってます。(シーノンさん)
私の故郷は斜里町です。 故郷の山はもちろん斜里岳です。自宅は町中で斜里岳とは5キロ程距離がありますがその間は畑地で遮るものはなくド~ンといつも独立峰の山がそびえています。 「やっほ〜」と叫ぶとやまびこが返って来ました。 亡くなった父が山が好きで近隣の海別岳には連れて行ってくれましたが何故か斜里岳には連れて行ってくれませんでした。 謎ですが心残りです。 斜里岳は観る角度によって山容が随分変わります。 斜里町民の自負は斜里町内から見る斜里岳が1番美しい。です。(ふくちゃんさん)
東京で育ちましたので、身近に山らしい山は有りませんでした。広島県呉市の大学に入学し、目の前が海、周りは様々な山という環境で過ごしました。大学卒業後に北海道稚内から沖縄県那覇市まで、計20ヶ所近く転勤して歩きましたが、やはり大学時代に見ていた呉や対岸の江田島、能美島等の瀬戸内海の山を懐かしく思い出します。(てつさん)
20回の転勤とは!さぞご苦労も多かったのでは?(H)
成人前までは九州に住んでました今小樽の天狗山にほど近いところに住んでます、故郷にいた頃には丁度天狗山ほどの山があり休みの日にはその山に登っていたことが懐かしく感じられます(くまのプーさんさん)
近くに山はなかったです(タロさん)
東京で育ちました。 天気の良い日は遠くに富士山が見えて幸せでした♪(ゆみこさん)
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弘前私も行ってみたいです。桜祭りの頃の弘前城綺麗でしょうね(H)
それってかなりの確率で本当のことだと思います(H)
自宅から藻岩山を眺めることができるのは札幌市民でも限られた地域の特権ですね(H)
20回の転勤とは!さぞご苦労も多かったのでは?(H)
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