このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。

画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク

>HOME >投稿塾 >VOL240「ふるさとの山」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『ふるさとの山』
関東平野で育ちました。山は見えませんでした。ごくたまに、冬のよく晴れた日に遠くに富士山が見えるくらい。
でも「ふるさとの山」とは言えません。だから、「山が見える場所に住みたい」と、いつも思っていました。
札幌に住むようになり、念願が叶いました。毎日藻岩山が見えます。手稲山も見えるし、名も知らない山もたくさん。天気がいいと尖った恵庭岳もよく見えます。
いつもそこにある「山」。これがふるさとの山というものなのでしょうか?
みなさんのふるさとの山はありますか?
ふるさとの山の思い出、どうぞお聞かせください。

全17ページの2ページ目

「ふるさとの山」で思いうかぶのは手稲山です。札幌に産まれ札幌育ち。母校の校歌にも手稲山のフレーズがでてきます。
四季でかわる手稲山の色
真っ白い雪山が春の訪れと共に少しずつ緑が濃くなり、あっというまに秋色へ。季節の移り変わりを山の表情で感じています。(ナオコさん)

お弁当持ってピクニックに行きました!(ちさとさん)

私は岩手の僻地で育ちました。小中全学年合わせて20人未満の小さな学校に通っておりましたが、春夏秋冬いつも久慈平岳がその成長を見守ってくれたような気がします。春は麓で神楽を舞い、夏はキャンプ、秋は登山、冬はクロスカントリー。これらは全部学校行事で9年間毎年あり、苦しいことのほうが多かった。でも、この9年間で山の厳しさと楽しさを体に刻まれたからこそ、どの山を見ても心も体も包含されている感覚になります。(ちあきさん)

東京で生まれ育ちました。見えるのは富士山です!(りゅうさくさん)

東京でも冬の良く晴れた日には富士山見えますね(H)

道南の片田舎の小学校に通っていた時は隣接する小さな山がロープトウ一本だけの小さなスキー場で滑り降りると学校のグランドに到着しました。 冬場は毎日スキーを担いで登校しスキー場で遊んだ後は坂の下にある自宅までスキーで滑って帰りましたが、当時は車の行き来もほとんどないため危険も感じませんでした。 その小学校は現在すでに廃校となってます。 古き良き時代(サムさん)

小学生の頃は田舎に住んでいたので毎日1時間くらい歩いて学校へ通っていました。主に冬になると途中にある小川も凍ってわたりやすくなるし草や木々の枝もあまり邪魔にならなくなるので家の裏山を上り下りしてショートカットして通いました。結構大変で時間が短くなるわけじゃないけど、冒険感覚で楽しく通うことができました。(masaさん)

子供の頃に行ったお婆ちゃんの家がまさにふるさとの山でした。下を見れば海。(ひろきさん)

岩木山は美しい円錐形から「津軽富士」とも称される独特な形を持つ山
10歳の時祖父に連れられお祓いを受けた岩木山神社それからは毎年登ったお山参詣
津軽に帰ると車窓から最初に見える岩木山は「お帰り」と言ってくれる(としかずさん)

大阪に住んでいる時は山は遠くにしか見えませんでしたが仕事の関係で奈良の五條市に変わってからは山が当たり前で冬になると雪をかぶった山が当たり前に見えます。(コウイチさん)

つくば山です。春にカタクリの花が奇麗です。秋の紅葉も素敵です。2月に中学卒業登山した時雪が降ってきた思い出があります。孫と初めて登ったのもつくば山です。(としのぶさん)

ふるさとの山といえば、私にとっては燕市の分水国上山です。標高こそそれほど高くはありませんが、地元の人々にとっては特別な存在。子供の頃、家族で登った記憶がいくつもあります。春の新緑、夏の蝉の声、秋の紅葉、そして冬には雪化粧をまとった静かな姿。国上山の季節ごとの表情は、私の心の中に深く刻まれています。山頂にたどり着くと見える広大な景色。遠くには日本海が広がり、燕市の街並みが一望できます。そんな景色を眺めながら、ふるさとへの愛情が胸に込み上げてくる。ふるさとの山とは、ただ目の前にそびえる山ではなく、その山と共に過ごした時間や、家族や友人との思い出が詰まった特別な場所なのだと感じます。(ちょんさん)

北海道小樽市で生まれ育ちました。
小樽には天狗山という富士山に良くにた山がどっしりとかまえています。
小樽市民スキーヤーの聖地です。
中々の斜度があり、そこでスキーの講習検定試験を受けました。SAJの1級に受かりそれが私のささやかな自信になりました。(豆柴まめちゃんさん)

子供のころ遠足で行った山の途中で山ぶどうがなって食べたこを懐かしく思い出しました。
お友達と自転車で山を駆け回ってました。(miki615kuさん)

故郷の山、私も、東京生まれの東京育ちなので、残念ながらありません!高尾山も気軽に行ける距離にはありますが、故郷の山とは呼べないし、、、山ではないけれど、数年前に行った上高地でのトレッキングが直近の良い思い出です。(けいこさん)

高卒で上京進学したとき 下宿から見える 山が無くて むなしさを感じた(せいはちさん)

高校の先輩である詩人の言葉です。「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」全くその通りですねぇ。(しょうぐんさん)

道北の小さな村で高校時代までを過ごし、子どもの頃は毎年、村主催の遠足に出かけました。マイクロバスで山を移動。途中歩いて、ギョウジャニンニクや、エンレイソウ、そして、カエルのタマゴなども持ち帰りました。締めは参加者みんなでジンギスカン。持ち帰ったカエルのタマゴは孵化して大量のおたまじゃくしに。今では考えられない光景です。なかなか思い出す機会はありませんでしたが、ふるさとの山のテーマで楽しかったことを懐かしく思い出しています。(まきさん)

カエルのタマゴ、簡単に孵化してしまうんですよね(H)

50年以上前小樽の実家に住んでいた頃、自宅の窓から国鉄の函館本線を通る貨物列車が停車するのが見えました。その貨車の中に石切り山から切り出された砂利がザザザザーとものすごい騒音の中で運搬作業が行われるのが、日常茶飯事でした。その当時は何とも思いませんでしたが、今同じ環境ではきっと生活できないだろうなと思い出されます。騒音だけではなく埃も多かったことが蘇ってきました。(K太郎さん)

空知地方に住んでいたので、暑寒別岳がキレイな山並みだったことを覚えています。(キャシーさん)

中学校が小高い山の上にあり、下校しながら山の中を探検してたら同級生の家の庭に出てしまい、慌てて逃げた思い出があります(ひめままさん)

私が幼少のころ、網走の官舎に住んでいました。札幌から父親の仕事の関係で転校しました。その官舎のすぐそばに裏山があり、毎日のように登っていました。裏山には春にはフキやワラビ、夏には野イチゴ、グスベリ、ハタンキョ(スモモの仲間?)秋には落葉や栗など四季折々楽しみがありました。今であれば道の駅でも行かなければ手に入らないものが毎日当たり前のように食してたのが夢のようですね。

(トモヒコさん)

私にとっての故郷は札幌市南区の山々です。中でも個人的に好きなのは、定山渓温泉の露天風呂から見渡す山々です。四季折々の山々を眺めるいつしか心安らぐひと時になりました。山といってもよく見るとそこには一本一本の木々があります。更によく見るとその木一本一本にも葉が付いています。つまり山とは、そういった自然の集合体なのです。私たちがそこあると思っていた「山」も単に高い立地でしかないということなのです。(くまたによしみつさん)

八幡山かな…  お花見時には山全体が提灯で飾られ、酔客も多かったです。  子供時代には、子供用の自動車であそびました。  小学生時代には夏はプールで遊び、帰りにはポテトフライを食べて満足度100パーセント。(ブルースターさん)

 66年札幌から離れて生活したことがありません。
 ふるさとの山は小学校の時に登った藻岩山、円山、三角山。そして冬にスキーに行った手稲山、国際スキー場のある山(名前が分からない)。定山渓温泉に行く途中に見える八剣山。最近ではモエレ沼公園のモエレ山ですね。
 札幌は周りをグリーンベルトの山並みに囲まれた贅沢な街ですね。(のんこさん)

以前特集で八剣山ワイナリーを取り上げたことがあります。素敵な場所でした(H)

わたしのふるさとの山は藻岩山です。
家族で乗ったロープウェイも
小学生の時のスキー遠足も
友達と遊びに行ったスキーも
恋人と行ったレストランも
思い出がたくさんありすぎる山です!
日本新三代 大夜景にもなって嬉しいです‼︎
(ありはさん)

手稲山、季節の移り変わりは手稲山を見て感じてます(kiyoさん)

群馬県を離れ約50年、毎日眺めた赤城山、冬にはあの赤城おろしのからっ風に悩まされたが、それも今では懐かしく思い出される。(マサオさん)

マンションから恵庭岳が見えます。札幌オリンピックでスキー競技があったことを覚えています。綺麗な山と感心してます。特に天気のいい日は青空に生えます。(たっちゃんさん)

住みよい札幌市で暮らしていたので山をすぐちかくに感じることはありませんでしたが、だからこそ遠くに見える山の猛々しさ、時折上る近隣の小山の楽しさにはたくさんの思い出があります(サナさん)

近くに山はなく見えることもありませんでしたが、家の前には急で長い坂道があり、坂の上には小さな「○○山公園」がありました。よく訪れていたので思い出の「山」です。(しげるさん)

全17ページ中の2ページ目(508コメント中の30コメント)

投稿塾バックナンバー


先頭へ戻る