朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから(朝日IDの登録ページが開きます)
全17ページの4ページ目
登山をしたことはありませんが、山をのぞむ土地で育ったため、山が見えるとほっとします。なんともいえない安心感があるので、札幌に住む今も山が見える場所に住んでいます。(わんこ。さん)
幼なじみと海・山・川・湖と自然を満喫していました。(アキヒロさん)
ターザンごっこをよくしました。(シンボリエンブレムさん)
私も関東平野育ちです。 かなり遠くに富士山、少し近くに筑波山が見えました。 札幌で最初に住んだのが円山の近くで、近くに山があるのはいいなあと思いました。 今は札幌の北のはずれで山はちょっと遠くなりましたが、遠くの手稲山とかいいですね。(きょっちさん)
岩手の盛岡にいた時、よく姫神山と岩手山を眺めました。姫神山は小学生の時、初めて山らしい山に登れたという思い出があります。そのせいか、どこに移っても山に登るようになりました。現在札幌、春は必ず円山に登っています。いつも快晴に恵まれ、頂上からの札幌の街を見下ろす眺めは最高です。(しゅうゆうかんさん)
ふるさとの山と云えば大雪山、それも旭岳になるのでしょうが、幼い小学生5年生まで遊んだ神居富沢の山々が、思い出のふるさとの山です。リンゴ畑を友と遊び歩いたことや、ザリガニ釣りが忘れ得ぬ思い出です。(としちゃんさん)
海軍の港、その背後に佇む休山、それはただの記号、ただの地名でしかなかった。 30年以上の時が過ぎ、父危篤の知らせに久方ぶりに帰省した。 何気なく地図を見ていると、休山のほぼ中央に八咫烏神社とある。 「八咫烏の神大和より此の山嶺に天降りたまいしとき暫らく此の山腹に憩いたまうたので此の山を一名「御休山」ともいう」 ヤスミヤマ…ただの記号でしかなかったその名前に、歴史と、街の誇り戦艦大和を思った。(mme mikaさん)
友人の家があり近くの木に登って遊んでいた(ゆうさん)
千葉に住んでた時、東京への通勤時、地下鉄東西線で高架で富士山が見えました。 また、正月など団地6Fのベランダから富士山がみえて、とても気持ちの良い1日でした。(あさきたかずわくんさん)
小樽の天狗山です。スキーを楽しみました。(シュガッチさん)
私のふるさとの山は藻岩山です。 遠くから見ても美しく、1枚の絵のようで、仏舎利塔はまるで落款。 登っても心地良い。若いころはすいすい歩けましたが、近ごろはゆっくりゆっくり、急な所は主人に手を引いてもらって。 近くに藻岩山があって嬉しいです。(ともこさん)
実は藻岩山ロープウェイでしか登ったことがありません。徒歩で登るのは結構きついのでしょうか?(H)
子供の頃は山の麓に住んでいましたが、花粉症になり、住むことができなくなって悲しいです。(アズサさん)
私は生まれてからずっと山と川に囲まれて生活しています。なので山が見えるのは本当に当たり前の日常なので特別な感情はありません。 小学校の頃の課外学習は山登り。遊び場は山の入口にある神社。数分歩けばすぐ山の中です。私にとって山は日常とでも言っておきます。 たまに都会に出たときはあまりの便利さに驚きますが、暫くすると山に囲まれた空気の綺麗な実家を思い描いてしまいます。 (すずねさん)
手稲山です。 子供の時はスキーに行きました。学生の時は登山遠足で登りました。 今も見える所に住んでいます。(あいこさん)
昔、道東に住んでいました。 朝起きて、窓を開けると知床連山が目に入ってきます。 今日雨降るなーとか 天気いいなぁとか知床連山の雲を確認してたことを思い出します。(ヒロミさん)
ふるさとの山は「日高山脈」です。 十勝の片田舎がふるさとで、広い平地からも見事に連なる山脈を眺めることが出来ます。 亡き父も山を愛してたようで、遺品から日高山脈を写した写真が沢山出てきました。その一部の写真は、私の部屋で飾られています。(HMさん)
3歳から中学卒業まで、父の仕事の関係で利尻島で暮らしました。その滞在中に国定公園から国立公園になり、島がずいぶんと変わっていくのを子どもながら見ていましたが、自分の知っている利尻山はいつも不機嫌そうに雲をまとう近寄りがたい存在でした。簡単に“美しく雄大な自然…”などと新聞や雑誌、テレビなどで取り上げられると今でも違和感を感じます。 (ノリさん)
近くはないですが江別市からも藻岩山や手稲山見えます。私が好きな真狩温泉の露天風呂から見る羊蹄山は素敵です。ニセコ連峰大好きな景色です。(さおりさん)
祖父母の家の裏手にあった山で山菜取り、キノコとりにつれて行ってもらってました。(まみさん)
羊蹄山 小さい頃、家族で旅行に行く度に見ていた山です。天気によってなかなか山頂まで見えないことも多いですが、あそこの景色が大好きです。ドライブしながら家族で見た楽しい思い出です。(ともこさん)
有るけど、有って、当たり前(なぁ〜おさん)
私の出身地である深川市には国道12号線沿に音江山があり、その登山口には沖里川温泉「鳩の湯」という温泉旅館があった。 平成17年頃に廃棄したらしいが、今から50数年前、まだ小学生のころ祖母とよく部落の会合や温泉祭りで温泉に入り会食をした。少し茶色かかった炭酸水の温泉は不思議な感触だった。脱衣所は分かれていたが中に入ると混浴になっていて子供ながらに恥ずかしかった。故郷の山は幼少期の思い出に溢れている。(まささん)
音江に温泉旅館があったとは知りませんでした!(H)
藻岩山 子供の頃登山してました(あさちさん)
藻岩山は札幌市の身近な山です、あのシルエットを見ると安心感があります(いももちさん)
亡き父の実家が、山の中でした。冬になると道が無くなる。冬、バスを降りると祖父が馬橇で迎えに来てくれました。 開拓した水田とりんご畑。藁布団で寝ました。罠で獲れたウサギの肉、何とかして食べました。馬小屋で餌の藁束を切るとか、並んだ古い農機具を不思議な気持ちで見ていました。もうその家はありません。何時だか懐かしくて山道を走って行きましたが、木々の中に赤い屋根を見た時、自然に涙が出ました。ご苦労様。(よんちゃんさん)
長崎の稲佐山です。小学生の頃は、遠足で毎年登りました。 中学生の時、マラソン大会の走路となり、私は一走目(一区)でした。誰が一番になるか、お互いに意識していましたが、見事私は一番で二走者目にたすきを渡しました!その後クラスは総合一位となり、思い出深いマラソン大会になりました。 一番最後に登ったのは、父が亡くなる2年前、父と姉妹で登りました。かなり体力が落ちていた父に、「途中、辛くなったらバスに乗ろうね」と言っていたのに、負けず嫌いの父は、自分の足で最後まで登りきりました。その時に写した頂上からの風景を携帯の壁紙にしています。(まみこさん)
稲佐山からの長崎の夜景、一度見てみたいものです(H)
小学校時代から飽きずに足を運んだのが、昭和新山です。汽車とバスを二本乗り継いだ終点が昭和新山で、クマ牧場や有珠山ロープウェイ、植物園もありますが専ら、硫黄の臭いに惹かれて中腹の硫黄の吹き出し口を目指し、真黄色の硫黄の塊を持ち帰り、大人になって車を持ってからは腹に爆音が響く「火まつり」に通ったものです。今はすっかり御無沙汰してますが、数十年ぶりに行ってみようかと思います。 (熊五郎さん)
ふるさとはないので思い出の山と言ったら新潟県佐渡市のドンデン山です。頂上から観る景色がとても風光明媚で感動したのを覚えています。(ひろあきさん)
背振山脈よりは身近なみかん山。収穫など手伝いの記憶が有ります。(きなこもちさん)
十勝平野で育ちました。私の町は東西に山があり、よく虫取りやすずらんや福寿草を取りに行きました。山ブドウやコクワも取りに行きました。故郷には年に1度くらいしか行かないので、今はどうなっているのかわかりません。懐かしい思い出です。(alchemistluckさん)
全17ページ中の4ページ目(508コメント中の30コメント)
全17ページの4ページ目
実は藻岩山ロープウェイでしか登ったことがありません。徒歩で登るのは結構きついのでしょうか?(H)
音江に温泉旅館があったとは知りませんでした!(H)
稲佐山からの長崎の夜景、一度見てみたいものです(H)
全17ページ中の4ページ目(508コメント中の30コメント)