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>HOME >投稿塾 >VOL240「ふるさとの山」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『ふるさとの山』
関東平野で育ちました。山は見えませんでした。ごくたまに、冬のよく晴れた日に遠くに富士山が見えるくらい。
でも「ふるさとの山」とは言えません。だから、「山が見える場所に住みたい」と、いつも思っていました。
札幌に住むようになり、念願が叶いました。毎日藻岩山が見えます。手稲山も見えるし、名も知らない山もたくさん。天気がいいと尖った恵庭岳もよく見えます。
いつもそこにある「山」。これがふるさとの山というものなのでしょうか?
みなさんのふるさとの山はありますか?
ふるさとの山の思い出、どうぞお聞かせください。

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三角山、藻岩山、手稲山は毎年、登っています〜♪(はたさん)

 藻岩山観光道路近くに住むようになって数十年経つのにまだ夜景を見に出かけたことがありません。函館山の夜景は何度か見に出かけているのに…… いつでも行けると言う思いがあるからか?観光客で結構混雑しているらしい〜と聞いてついつい足が遠退いていますぅ〜 元気なうちにいかなくちゃ…(ふぅ〜さん)

札幌市西区にある三角山ですね。
最近はヒグマの出没で立入禁止が多いようです。(gamigamiさん)

富士山に似た、鳥海山を毎日見ていました。
山肌がスキーの跡のように見えて
どんな巨人が滑っているんだろうと思っていました。(ノリコさん)

ふるさとの山は神奈川県の丹沢山系です。藤沢の実家から毎日仰ぎ見ていました。冬になって雪化粧した姿は神々しく感じられたものです。
札幌の藻岩山や手稲山は高層マンションが増えてすっかり見えなくなりました。(ebiebiさん)

小中高の通学路の西側には12年間いつも手稲山が望めました。(あおいうみさん)

小学5年生の夏休みに地元にある有珠山が噴火しました。
その後、空は真っ暗になり、大量の灰が降ってきました。
40年以上経った今でも鮮明に憶えています。
(まちゃさん)

赤城颪で有名な赤城山を眺めながら育ちました。
(14番さん)

実家の近くに藻岩山があります。
小学校の頃の登山遠足は藻岩山でした。
何回も登っているので、ふるさとの山は藻岩山です。
頂上に到着してからレストランで食べるラーメンは最高でした。(ひなこさん)

頂上のレストランもリニューアルしてお洒落な場所になったそうですね(H)

大阪府と奈良県の境の金剛山です。
父の実家を子供の頃夏休み中長く滞在していました、山歩きや、川釣り、昆虫など様々な楽しい時間を過ごす事ができました。

心のふる里です。
今は、実家も無く長く訪問していませんが、
小さな村も変化しているようです。(Skyさん)

転勤族でした。旭川では大雪山系、函館では函館山を望みながら暮らしていました。今は札幌に暮らし、学生時代も゙目にした手稲山や恵庭岳がある風景に馴染んでいます。(タッチさん)

転勤族の子供だったので特定のふるさとは思い浮かばない。小学校入学前に3年ほど住んだ芦別のいなか、人家と空知川の境目あたりの野山で遊んだ記憶が「子供の頃の楽しい思い出」(ゆさん)

三角山、円山、手稲山、藻岩山が私の部屋の窓からいつも見えます。札幌西区育ちなので、どの山もこどもの頃から登山やスキーで馴染みがあります。最近は熊が出る話しが話題になっているので、窓から山の四季の移り変わりを眺めて楽しんでいます。(007さん)

ふるさとの山といえば、手稲山です。
季節によって変わる姿が好きでした。(うさぎさん)

函館山が見える場所に住んでいました。
山っていいものですね。(なってぃーさん)

実家から手稲山が見えてました。
いつもベランダから何気なく見ていた山ですが、今となっては昔を思い出す山です。(ぼーさん)

関西に住んでいる頃少し小高い山がありました。小さい穴に白蛇が住んでいると言われていて近寄らなかったことを覚えています。(エコさん)

私が育った所は山の緑が見えるような地域ではありませんでしたが妹の嫁ぎ先の家の裏に山がありました。私の子どもと妹の子どもが小さい頃その山に遊びにいくことが度々ありました。木があり葉があり花があり石もあり…。遊具はなくてもたくさん遊ぶことができとても楽しかったです。山のヒンヤリした空気がとても気持ちよかったです。山があるっていいなって思いました!
(のんちゃんさん)

幼稚園の前にあった「お山」みんなで一緒によじ登り園長先生が木を揺さぶって落としてくれた栗をみんなで拾いました
半世紀後神社巡り御朱印集めで訪れ「ああ~こんなに小さい山だったんだ・・・とびっくり
でも山すその公園からの斜面は当時を思わせ、境内に大きな栗の木もありました
札幌市手稲区の手稲神社、社殿のある丘の上、私にとって大きなお山です。
(めぐみさん)

有珠山です。伊達から見ると鉄瓶のように注ぎ口が右側にありました。立岩と名付けられていたと思います。しかし、1977年の噴火とその後の噴火、地震活動で崩れてすっかり形が変わってしまいました。(けんいちさん)

ふるさとでは、いつも風景の中に山がありました。
眺めるだけではなく、家族、友人と楽しく登る山でもありました。
四季折々の風景を楽しみ、時には小さな木の実が舌を楽しませてくれたこともありました。
晴れ渡った日には遠くに阿蘇の煙が見えることもありました。
今は目の前の三角山の緑に、間もなく色づく赤や黄色に、長い冬の間の雪の白さに、そして雪が解けた後には所々に咲く春の花の白さが、心癒してくれます。(ハイビスカスさん)

小学生の頃に住んだ町に、山スキーのできる山があり、近づくのも難しいところで、そこに行くためには、相当の修練を要するといわれてと。
父の転勤で、そこを離れるまで、とうとう登ることはかなわなかった。
そして、半世紀が過ぎて、ふるさとに行く機会があり、ふるさとの町はみる影もなく寂れ、自然に帰ろうとしていた。ふと、見上げると、かっての壮麗な山は、ありふれた低山の一つになって、入ることも難しいものだった。(ヒロキさん)

手稲山でしょうね。
若い時は手稲によくスキーをしに行きました。(りんごパイさん)

子供の頃祖父母宅に帰省した際に見えた山が記憶にあります。十勝連峰です。普段は藻岩山を見ながら過ごしています。(appleciderさん)

函館に住んでますので、山といったら夜景の綺麗な函館山なんですけど。私の山は、生まれ育つた田舎の裏山です。春になるとわらびがでてくるのて、妹と取りに山に行ってました。どっちか、沢山取れるか競争したりして。
運動会時期に取れるので、その取ってきたわらびで、今は亡き母が運動会に煮〆を作ってくれました。地味な煮〆ですが、とても美味しかったな。(今ちゃんさん)

私の時代は小学校で毎年登山遠足があり何度も登った手稲山 (けいこさん)

私も関東平野育ち。遠くに見える富士山と南アルプス? の低い山並みが、強いて言えばふるさとの山でしょうか。
逆に、水郷地帯で江戸川、古利根川、元荒川が流れており、「ふるさとの川」はたくさんあります。
いまは函館山の麓に住み、渡島半島の山々を眺めながら暮らしています。山や海に囲まれて幸せですが、ときどきゆったり流れる川が恋しい…(しゃおむーさん)

東京や千葉、埼玉の人には荒川土手や利根川土手の思い出が沢山ありますね。金八先生とか・・・(H)

実家が大雪山麓の上川町で、身近に高山が有る事で”コマクサ”をはじめとする高山植物が自宅の庭に有りました。帰省の折などは石北線の安足間駅を超えた辺りから右手に見え始める山並みを見ると「帰って来たな~。」とほっとする気持ちになります。
中学校の登山遠足で登った「赤岳」や層雲峡からの「黒岳」登山。向かいの「ニセイカムシュッペ」、高校の時の3泊した大雪縦走…。70歳を過ぎて登山は少々無理になりましたが故の山々は今でも暖か迎えてくれています。(三毛猫のパパさん)

ふるさとの山は岩木山 津軽富士と呼ばれ、りんごの花が咲く頃の眺めは最高です(サチコさん)

 本州の山になりますが、通勤、通学でにJRで仙台に通っていました。
その車窓から遠くに蔵王連峰のがみえます。見えるときは天気が良く、ラッキーと思えました。(ほわさん)

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