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>HOME >投稿塾 >VOL240「ふるさとの山」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『ふるさとの山』

京都市内に住んでいたため東山が見え8月16日には大文字の送り火が見えました。(サダやんさん)

故郷の山は日高山脈です、小さいとき遠くに見えた山を今思えば日高山脈でした(ごんさん)

高校生の時 毎年登山遠足があり 嫌いだったので憂鬱でした

整骨院の先生が1時間弱の登山を計画 高齢者でも大丈夫ということで参加しました 
小学生から 高齢者までの参加となりとても楽しかった 一番バテていたのが女子高校生でした チョッピリ自信も着きました(むつこさん)

福島県北部の半田山です。江戸時代、銀の採掘で栄えたそうですが、友人とスキ-に出かけたところです。
とはいってもリフトがあるわけではなく、ただひたすら上って降りるだけ。
(やまがたくんさん)

JR登別駅海側にある『フンべ山』です。アイヌ伝説があり鯨由来『フンべ』の名前がついたとのこと。昔は海側に採石場があり石工の人が多く働いていました。時代の流れとともに登別軟石も取りつくされて閉山。その後、業者が海岸沿いで試掘し温泉が見つかり採石場跡地に無料?露天風呂出来きましたが山の崩落と波の侵食などで消滅。手掘りトンネルもあります。今はすっかり変わっても懐かしい遊んだ思い出でいっぱいです
(ヒロ3さん)

岩手山。昼間の登山は暑いので、夜に登山して山頂でご来光を見るのが定番。(copenさん)

ベランダから見る手稲山
季節を感じます(みきこさん)

札幌の良いところの一つがどこからでも山が見えることで、自然に守られている気がします。藻岩山も手稲山も好きです。(メーメーさん)

八甲田山と岩木山です。
八甲田山は父の書斎の窓からきれいに見えて、父は「うちの山」と言っていました。遠足で登ったこともあります。
岩木山は母の故郷で自分も一時期暮らした町から日々眺めていました。天を仰ぐ美女の横顔と称せられる美しい山です。いつか登りたい…(geminiさん)

実家は札幌市内ですが山のふもとです。
子どものころからなんとなく山が見えないと不安で、大人になった今も山の近くに住んでいます。(まーたんさん)

愛知県に結婚するまで住んでいたが 山には興味がなくて 唯一伊吹山に同級生と同窓会と称して車で行ったことが思い出です。

今になると自然の宝庫の山 しっかり学んでおけばと思います。(チロ 華さん)

手稲区に住んでいます。もちろん、「ふるさとの山」は手稲山。子どもが小さい頃は、スキーに行ったり、今は夫婦や子どもたちと山登り。子どもが受験の際は、手稲神社の奥宮に参拝もしました。(hero-cさん)

小樽の天狗山、天狗山の麓に住んでいて、小学校時代は天狗山の頂上を目指して坂道を登り登校していました。冬のスキー学習の後は道路の裏を家まで滑って帰ったのもいい思い出です(さとちゃんさん)

盆地なので山がないのでうらやましいです(まみさん)

故郷の山は家の200メートルくらい先にあり、幼少のころは上って頂上に行ったり、上る途中に沢の湧き水があり、ザリガニを取ったり、今のように携帯、パソコン、テレビもほとんどの人がなかった、家電すらない時代、でも山の頂上に行って下界を見下ろしたり、素晴らしい空気を吸ったり、本当に楽しかった思い出しかありません。高齢になり、たびたび思い出します。(ふーこさん)

幼少の頃から見ていた笹山。その麓には夕焼けころから炭焼きしていた人達の灯りが思い出されます(かつひろさん)

旭川に住んでました。大雪山連峰が見えると何か嬉しい気持でした。(ノリコさん)

雌阿寒岳です。初めて本格的な登山と言うのに、スニーカーでデイパックみたいなスタイル。登りは何とか、しかし、下りが膝ガクガクでほとんど転げ落ちるようにでした。若き日の事で、山はすごい、身体で思いっきり感じた経験でした!(かずうさぎさん)

虫が嫌いなので山も苦手でした。大人になって函館山や大倉山の夜景を見に行って綺麗だなと感じましたがやはり虫は無理です。(はつかさん)

あまり山の思い出はないんですが、北海道は冬はスキー授業があって藻岩山や手稲山にスキーに行った思い出があります。自分は高いところが苦手なので無理やり連れて行かれて嫌な思い出になりました(泣)(リップルちえさん)

東京で育ちました。天気のいい日に小学校の屋上から小さな富士山が見えたのを覚えています。修学旅行で富士山の麓に行った時、あの小さい山がこんなに大きい山だったのか!と驚きました。ふるさとに山はありませんでしたが、屋上から見たあの小さな富士山を今でも懐かしく思い出します?(ぴーたろうさん)

日高山脈という山脈はいつも見てます。私の生活している自宅が日高管内にあり、きれいな山だと思います。(タダオキネンシャさん)

日高山脈はまさに北海道の背骨、という感じがしますね(H)

子どものころから、藻岩山の四季を見て育ってきました。大学・就職としばらくふるさとを離れて暮らしていましたが、退職を期にふるさとに戻ってきました。そして今、毎日藻岩山の四季の移ろいを眺めながら楽しくのんびりと暮らしています。(ポチ&ジョージさん)

学生時代は クライミングや 山登りをしていました 中年になって太ってしまい やめていましたが ダイエットをして 30キロ 痩せたので またやり始めようかと思っていたところに病気になってしまい 諦めるしかなくなりました やれるうちにやりたいことはやっておかないといけないんだな と反省しました 山は 見るだけになってしまいましたが やはりいいものです(Lさん)

私のふるさとには、山があります。
春夏秋は、登山ができ、冬は、スキー場になります。
高校生までは、ふるさとに住んでいて、スキー授業やレクレーション等で登山をしていました。
登りきった時の頂上で食べるお菓子やご飯はとても美味しかったです。(ちえさん)

旭川生まれなので山といえば大雪山。登ったことのあるのは黒岳だけですが。(ジュンさん)

藻岩山 展望台があり、そこから見る札幌の夜景は絶景です(ヨウイチさん)

学校の裏山です。毎日遊んでいました。(はったんさん)

小学校の校歌に「芙蓉の高嶺 窓に立ち」とある、千葉市の真ん中の高い所で育ちました。うちの2階の窓からもほぼ毎朝富士山が見え、日本一の高さだから、それが普通だと思っていました。今札幌。近くに藻岩山が見えますが、あれは山じゃないですよね。高校生の時、山岳部の顧問に「富士山に登りたい?あれはハイキングだ。おまえらの登るのはもっと本気の所だ。」と言われましたが、でも富士山登りたいですよね。(みかもなさん)

実家は野幌原始林沿いにあります。大学時代に講義実習のため開拓の村まで往復自転車で通いました。原始林を突き抜けていくとショートカットになるので、行きは上り坂、帰りは下り。つまりは山を登っていました。
細道だけど舗装はされていたので通りやすいし、何よりも快晴の朝の森林はとても気持ちがよく、鳥の声を聴きながら快走したのを覚えています(ぎんざんさん)

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