このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。
>HOME >投稿塾 >VOL207「札幌の地下鉄、50年」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『札幌の地下鉄、50年』
札幌地下鉄が開業したのは1971年12月16日。札幌オリンピックの約2ヶ月前のことでした。
この12月、札幌地下鉄は開業50周年となります。
札幌市民はもちろん、北海道民なら札幌を訪れたときに、道外の方なら仕事や観光で札幌を訪れたときに、乗られた方は多いと思います。
工事中や開業当初、街はどんな雰囲気だったのでしょう?
今はどのくらい、どんなときに、乗ってらっしゃいますか?
50年の歴史の中で、みなさまの地下鉄にまつわる思い出、お話、どうぞお聞かせください。

全13ページの12ページ目

20年以上前のこと、真冬、朝起きるとすごい積雪、地下鉄は動いてるけどバスはストップ。会社へは地下鉄とバスでの通勤。バスセンターまでは行けたけど出勤は不可能。電話すると部長だけが辿り付いてた。突然の休日に少し楽しい気分、でも、中心地に会社のある人は出勤だなぁ、便利?少し損?と思いながら帰宅しました。(おでんさん)

ドニチカキップで一日乗り放題を利用します。映画を観に行ったり、ラーメン屋さんに行ったり、美術館に行ったり、知らない街を散歩したりします。
520円という価格もありがたく、つい行動的になってたりします。


(きくちゃんさん)

浪人中でした(norisukeさん)

長男が生まれた年に開通、毎日のように利用して来ました。雪の街には無くてならないものです。コロナの今、余り乗ってませんが。寂しい。(akiさん)

実際に学校単位で観戦に行った札幌オリンピックの2か月前に開通した札幌地下鉄。札幌市民となって、日常的に利用している地下鉄は、今や「当たり前」の交通機関といった感じになっています。個人的に印象に残っていることは2点。1点は、開通から極最近までそうだった駅名の「霊園前」(現在の南平岸)です。まさかそんな「縁起でもない」名前とは・・・・、とずっと思っていました。2点目は、開業当時からずっと感じていたことですが、「地下鉄と言っても地上を走るんだ」という点です。いずれにしても、これからも札幌市民の日常的な足として、期待しています。これからは、手稲方面にまずは延びるのでしょうか?(createさん)

1974年大学受験のため、道東北見から札幌へ。地下鉄南北線に初乗車、まだ南北線だけの地下鉄でした。すすきのから大通りまでの地下街を興味津々と歩行中、偶然弓道部の先輩に遭遇。あれから47年お世話になってます。懐かしい。(ニコニコちゃんさん)

札幌市の地下鉄開業時、車輪がゴムタイヤであることに驚いたものです。(神童さん)

結婚当初(43年前)南北線の大通り駅で札幌行きに乗り換える時、何回かドッチ方面に乗ればいいのか暫く考えないと乗れなかった事を思い出します(今は大丈夫です)(のんちゃんさん)

札幌に来て四半期が過ぎました。初めてのタイヤの地下鉄は何て音が静かなんだろうと、ビックリしたものです。たまに帰京した時など特に感じます。できればもう少しいろんな所へ行けたら良いかと思います。(Pooさん)

結婚したころに地下鉄が開通しましたので、バスも地下鉄駅までの経路ができて、直接大通りや札幌駅までの本数が減ってしまったことで当社は不便に感じましたが、子育ての時代は動物園へも地下鉄駅から子供とおしゃべりしながら歩いて行ったことも今では懐かしい思い出です。(キャシーさん)

初めて東西線に乗った時、当時はまだ道南に住んでいたので、地下鉄が珍しく、用もなかったのですが、端から端まで
乗ってみようということになり、改札を出ずに乗ってみたことがあります。結構時間がかかった気がします。最近は、夫が退職して家にいるので、どこに行くにも車で出かけるので、地下鉄は何年も乗っていません。(うにあられさん)

それまで汽車と路線バスを利用していた自分にとっては、「タイヤで走る電車」は衝撃的でした。特にスタート時点の静かさは、それまでに経験のない感覚でした。
今は当たり前の感覚になっており、何故か残念な気持ちです。(NKさん)

旧厚生年金会館(ニトリホール)へは大通りで乗り換えて利用しましたが 今は市民ホールでのコンサートへ行く事が多いので ほとんど駅から歩きます。そう言えば乗って居ませんねえ。(あきおのははさん)

北海道に戻って就職し、札幌勤務となったことで開業7年目の地下鉄を利用することになりました。学生時代を過ごした東京では、年のシンボルとして地下鉄がある一方、地下を走る窮屈さと閉塞感を強く感じて、遠回りとなる電車を利用したことが思い出となっています。
冬の雪による雪害の多さを知るにつけ、地下鉄の安定性と利便性を強く感じ、自分の住むJRの駅と接続することを望んでいます。(としちゃんさん)

道外に住んでいて、子供の頃は北海道は外国のような感じに見ていました。ご縁があって、北海道にきて初めて地下鉄に乗った時は、タイヤだとびっくり。今は、札幌に住んでいないので、また、コロナで、札幌への行き来が自粛されたため、2年くらい乗っていません。また大通りのビアガーデンとかいってみたいなー(ふくちゃんさん)

仕事がある時もない時も、「生活定期券」で大通近辺に出かけます。まさに、サンダル履きで行く感覚。大通バスタからは道内各地に繋がっていますし、真駒内駅からは定山渓方面の日帰り温泉や、滝野の公園へ。チカホを散歩すれば5、6分で札エキ近辺へ。コンパクトシティ札幌に住んでいると、地下鉄を使えば車は不要。(Yukiさん)

地下鉄なのに途中から地上を走行するのには驚きました。(チロさん)

麻生に住んでいて、当時北24条迄だったので大通り方面に出かけるのはバスが多かったけどその後麻生迄延長になった時は喜びました。今は通勤で使ってます。(けぽさん)

北区の繁華街でしたたかに飲んだ先輩、大通で乗り換える予定が乗り過ごし、気づくと真駒内。次に気づいたときは24条駅(当時の終着)。それを何度か繰り返し、とうとうタクシーで帰宅したそうです。
後日、地下鉄で狐に騙されたぞ、と半分自慢げに話していました。(ルドルフさん)

一昨年、主人の入院中、毎日、地下鉄で通いました。
乗り継ぎの時に、いかに、スムーズに人混みをかき分けて前に進むか、一種のゲームのようでした…。うまくいくと、着いている地下鉄にそのまま乗れて、時間短縮以上に「やった♪」感がありました。(かずぅさん)

今の子供たちにも札幌オリンピックを体験してもらいたいと思います。
地下鉄のメロディーを聞くといつも思います。(えっちゃんさん)

あのメロディーを聞くと何故か胸がいっぱいになりますよね(H)

たまに違う階段から降りると、逆方向に乗ってしまうことがあります。東西線あるある。(まりりんさん)

日ハムを応援するために地下鉄を利用することくらいですが、いつも非常に混んでいる状態しか思い出せません。(くまのプーさんさん)

札幌オリンピックの競技を見に来た時に初めて乗りました。街中が熱気に満ちていた時代でしたよね。


(ユリッペさん)

札幌に住む前にはどんなものか分からなくて憧れでした〜都会の象徴(みーさん)

昔、マイカーに東西線の東西線の「バスセンター前駅」から「琴似駅」までを往復に使っていました。それに接続するバスに間に合わせるため、駅の構内を毎回息を切らせて走っていたことを思い出します。(ヤマガラさん)

通勤で使っています。
ブラックアウトの時は使えなかったので歩いて通勤しました。(str777さん)

いつも当たり前に利用していますが、そんなに経つんですね(カツヒサさん)

夏場は自転車がメイン、冬場は徒歩、バスに切り替え、
地下鉄はほとんど使いません。あしからず。(gamigamiさん)

豊平区に住んで20年余り。札幌地下鉄としては最後にできた地下鉄。36号線の真上を長期にわたる工事をよく覚えている。月寒中央駅付近は地下鉄開通に伴い、店舗や住居区域が大きく変わった。小さな飲み屋街があちこちにあった記憶がある。今もほんの少しだけ歴史の一枚が残る地域でもあるのでは。(Ossanさん)

月寒も36線沿いは大きく変わりましたが一本路地に入ると昔ながらの風情も残っているみたいです(H)

全13ページ中の12ページ目(364コメント中の30コメント)

投稿塾バックナンバー


先頭へ戻る