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今月の投稿テーマ
『高校生』

50年以上前ですが、部活のバレー部で頑張っていました。
1年生の時は、自転車通学していましたが、2年生から長い距離を徒歩通学に変えました。(Os-sanさん)

映画と音楽に時間を費し、勉学が疎かになっていました!(るみさん)

高校先だったころは、ベビーブーム世代であったため受験戦争で勉強中心だったので青春時代のいい思い出はなかった。でも大学生になってから青春を謳歌できました。(ひろしさん)

半世紀以上のことではありますが、決して記憶の彼方ではなく、思い出は鮮明です。セラー服に身を包み、バス通学の3年間でした。広いキャンパスは緑も多く、秋の文化祭の頃の体育館前の銀杏の黄色が印象的でした。体育祭は毎年9月の後半。その日の朝の空気は、季節の変化を感じさせてくれたものです。異常気象の今と違い、順調な季節の変化と、季節ごとの美しさをしっかり感じさせてくれる自然があったなぁ~と思い出します。(ハイビスカスさん)

17歳だった頃、今考えれば何を楽しいとして過ごしていたのか全く思い出せません。
家は貧乏で友達の家に遊びに行くととても環境が整っていて羨ましいと感じて自分の産まれた環境に絶望すら抱いていました。
その中でも小さな幸せに癒やされながらも、恋愛にも憧れこれから訪れる大人に希望を見ていた高校生でした。(ひろしさん)

学校から家が遠く早く帰らなければならなかったので、ファーストフード店などに寄ってワイワイしている同級生が羨ましかったです。(あささん)

夕方テレビでアメリカンフットボールの試合が放送されていて、それを見るのが楽しみで毎日ダッシュで教室を飛び出して家に帰っていました。全く勉強もせず、のんびりしてました。(PEACEさん)

早く就職して、給料が欲しかった。(ミヤチャンさん)

高校生だったのは、もう30年以上も前のこと。
朝夕の新聞配達をしながら学校へ通っていました。
当時はいつもテストでは学年1位2位を争い、大学へ進学し保育士になる夢を抱いていました。
そんな私に初めての彼氏が出来、恋愛に忙しくなり勉強はそっちのけ。
学力はみるみるうちに下がり大学への進学も諦めてしまいました。
その結果、一般企業に就職をし、結婚、4度の出産、離婚と人生はジェットコースターのようにあっという間に過ぎていきました。
いまは子供たちとの生活が楽しいので、大学へ進学していたらどうなっていたのかと少し興味もありますが、これはこれで良かったと思っています。(じゅんさん)

特に高い志も無く普通に毎日過ごしていましたが、現在から過去を振り返れば、結局はなるようになっているとも思うので、当時の私に「大丈夫だよ」と伝えてあげたいですね…まぁ、人生は先が分からないからこそ価値があるのでしょうけど…。(ておてぃわさん)

もうあんまり覚えてません(ミーさまさん)

だいぶ前です笑
勉強と部活とボランティア活動していた高校時代でした
家政科で女性だけのクラス、ジャケットや着物を縫ったり大変でしたが料理も学べ今では役立ったいます、一人暮らしになったとき食事作りもできたのでまさに家政科に入ってよかったと思いました
ボランティア活動は色々しましたが子供が小学校、中学校のときフラワーボランティア活動もしていて高校生のときにしていたことも役立ちました、(ミックさん)

高校生⋯何十年前でしょうか。10代ですよね。勉強というか社会勉強に明け暮れてました!
丁度DISCOが流行っていて、時効ですが高校生の頃遊びに行ってました。疲れ知らずで、オールナイトで遊んでいても寝れば元気になるし懐かしいですね。その頃の音楽を聞くと思い出し郷愁を感じます。今も元気にいられるのは有り難いですね。これからも楽しく過ごしていきたいと思っています。10代の自分ありがとう(^^)(リップルちえさん)

私が高校生の頃は部活が楽しかったです。
今もその時の友達と交流が続いています。(ばたりんさん)

その頃、美術部で毎日絵を描いていました。楽しかったです。友達と帰り道に寄り道をしておしゃべりしたのも懐かしいです。今でもお盆と年末に高校の仲間で集まります。大学時代の友達より仲良しです。(うにえさん)

30年と少し前、私立の進学校に入学を決め、始発電車で約2時間の遠距離通学を予定していたところ、ダイヤ改正で乗り継げないことになり、已む無く学校の寮に入りました。
学校敷地内にあったため、教室までわずか徒歩5分の通学時間になりました。(ヨシヒロさん)

かなり昔、高校2年の時、国語の教科担当でもあった担任と進路に関わる面接がありました。その時私はまだ将来のことを何も考えていませんでしたが、担任の先生から「お前は中学校の国語の先生になったらいいと思う」と言われました。思ってもみないアドバイスだったのでびっくりしたのを覚えています。やがて私は、その先生のおっしゃったとおり中学校の国語教師になりました。教師の一言の大切さを教えられた瞬間でもありました。(プラテーロさん)

田舎町に住んでたので、高校は隣り町の高校へ当時の汽車で通学。なにも楽しい思い出もなく、漠然と学校へイヤイヤ行っていました。
やり直すならばもっと選択肢のある環境に生まれたかったかなぁ!40年以上前ですが…(あんこ大好きさん)

覚えていません(さっとさん)

早く、結婚したかったです!19歳で結婚しました!(サンスーさん)

もう半世紀前 可もなく不可もなく平凡な日々でしたね(すーらいるさん)

高2。TVドラマ?毎週金曜日夜1000だったと思うけれど、ショーケンこと萩原健一さんと水谷豊さんのコンビで「傷だらけの天使」を放送していましたね。とにかく二人のハチャメチャな生活が面白いのと、水谷豊さんのポマードべったりリーゼントがカッコ良く高校入学以来の長髪をバッサリ切り落とし真似ました。母親から「枕が汚れるから」と布の切れ端を枕に敷いて寝ていました。オープニングのコンビーフも真似ました。(モリケンさん)

今から50年前は高校生でした。一応地域では一番の進学校でしたが自分はそんなにというか全然勉強はしてなかったなあ。下宿してたので遅刻と早退のチャンピオンでした(きちんと出席時数を数えて単位落とすことのないようにしてました。特に英語の教師が大嫌いできっちりぎりぎりまで休んでたなあ)あとはバイクで走ったりしてました(暴走はしてないです^^)(masaさん)

私が高校生だったのは、もう60年ほど前になります。進学高校で大学受験に向けた授業や進学競争に意義が見つけられず、あまり楽しいことはなかったように思います。それでも、そんな中で同じような思いを抱いていた友達と仲良くなり、少しハメを外すようなこともして心のモヤモヤを発散させていました。その友とは今でも音信を続けており、人生を通しての友となっています。今では、良きも悪きもよい思い出です。
(赤ダルマさん)

道立高校ではほとんどない、国歌、国旗を無視した学校でした。テレビの取材を受け、しない理由を「伝統だから」と発言した先生を誇りに思ってました。(しげじいさん)

もう半世紀も前のこと。
息の合う同級生にも巡り合い、遊ぶことしか考えておらず楽しかった。
もし、今からやり直すことができるのならもっといっぱい勉強しよう。
でも、ここまでの人生まあまあだったので反省も後悔もなし!
(katomiさん)

大学に進むか就職するか迷っていましたが家庭の事情最優先にして就職活動に取り組んでいました。振り返ってみると75才まで働けたり職場結婚で良い妻に出会ったり最高の結果でした。(ひろゆきさん)

進みたい道は決まっていたけれど、どの道に進むにも実家は出なければならず、どうなるのかわからず不安でした。(あさひさん)

今と違い時間がたつのが遅かった気がする。早く大人になりたがっていたのだろう。(ケイさん)

世の中は自分のモノで怖いもの知らず
何をしても面白くて将来の事など考えていなかった。。その日その時が楽しければそれで全て良かった(若さは馬鹿さ)
今は遥か遠い記憶の中の青春時代でしたね(manaさん)

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