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>HOME >投稿塾 >VOL257「高校生」
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今月の投稿テーマ
『高校生』

私も半世紀前です。当時は神学校での学園闘争がありましたが、通っていた学校は 神学校でも落ちこぼれの高校でもない中流の学校だったので 皆のんびりしていました、唯一、先生の反対を押し切って、学園祭で皆でキャンプファイヤーもどきでホークダンスした思い出あります。(ととちゃんさん)

私も半世紀前です。山陽新幹線が岡山まで開通した頃でした。(Yじいさん)

自分が17歳の時は「キレる17歳」と言われ、新聞記事の読書感想文なども書かされたなぁという記憶があります。
17歳の時は30歳40歳なんて、超大人で何でもできて、失敗がない完璧な人間だと思っていましたが、実際は17歳のときから中身はあまり変わらず、体力だけなくなっているような気がしますね(_)(まもるさん)

自分の高校時代は40年ほど前になります。アルバイトに明け暮れた高校生活でした。バイト先の先輩たちに良くも悪くも社会を教えていただいたように思います。いい社会勉強になりました!(なっちゃんさん)

電車通学が楽しかった H。H(ひろしさん)

部活に3年間をささげた(笑い)悔いの残る高校生活でした。(runrun13さん)

つまらない事に悩んでいたと思います。(ヒヨコさん)

随分と昔ですが、、、
バス通学していて、気になる他校の人と土曜日だけすれ違う(お互いバスに乗ってます)。毎週それだけでドキドキしていました。勉強も頑張ってたなぁー(くるみさん)

今高校生の息子がいます。時代は違いますが自分が、高校の頃と根っこの部分は変わらないのかな、と。
子供から大人になる途中で、戸惑ってきづついて何かを求めていて、息子を見ていて自分の親が子供に思ってた気持ちがよくわかります。(あさかさん)

50年前のことで・・・。先日、ラジオを聴いていたら松山千春の「旅立ち」が流れてきました。いい歌ですよね。最初に聴いたのは、高3の受験勉強の真っ最中(松山千春はデビューしたばかり)で、その場面を思い出しました。(桃太郎さん)

50年も前のことで、もう半世紀前になるなんて…あの頃は軽音楽同好会に入っていてハードケースのギターとカバンを持って混み合うバスに乗って通っていました。
いや〜懐かしいです。(けいこさん)

ハードケースに入ったギターって相当重いですよね!それで混みあうバスに乗るのは大変だったでしょうね(H)

私が17歳の頃は、学校の帰り道に友達とドーナッツを食べるのが楽しみでした。(ふみえさん)

流氷のオホーツク海の暗い海を眺めながら、進学したいが母子家庭で経済的に余裕がない。唯女も一生自立していけるように、手に職をつけなくてはと漠然と思っていた。(まさひこさん)

遠い記憶、でも悩んでいたのは人間関係。(おでんさん)

青春謳歌。遡ること40年。部活動に明け暮れていました。結果、国体(当時語)にも選抜されました。今でも、伝統あるその部はOB会を年1で開催し、若者から高齢者までが楽しめる会合が開催されています。(タカヨッコさん)

便利だけどスマホの普及で常に誰かに見られている今、気の置けない付き合いって無いんだろうな(キョントさん)

時は70年代後半、私達世代は無気力、無関心、無責任の三無主義と言われました。
パワー少なめの印象はあります。
高校入学のオリエンテーションでは、異国情緒溢れるマンドリンの音色に魅せられ、マンドリンクラブに即決で入部しました。
高校時代は音楽好きの仲間に囲まれて、練習を重ね、大会に向けて合宿をしたり、遠征したり、時に音楽談義に話を咲かせ、ロックのセッションをしたりして楽しみました。
思い出は常に音楽と共にあります。
今でも当時奏でていた曲がかかると、様々な光景が甦り深い郷愁を覚えます。
(ちえさん)

高校の苦い思い出は1、2年の女担任。当時級友の家庭教師をしていたと後に知る。60年前の公立では許されていたのだろうか?彼女の贔屓は目に余るほど、気に入らない私の事はあの人と付き合うのはやめなさいと触れて回るほど。幸い他の先生のフォローや多数の友人がいたので校できた。一つ間違えたら不登校になっていた。決して人を他人の物差しで測らないと後年の良い教訓になリ、後の人生を実り豊かなにしてくれた。(ゆらばーばさん)

のり弁三段重ねを持って行ってました。その香ばしい醤油味に誘われた隣の席の男子が「美味そうだなぁ。羨ましい」と言ったので、翌日同じ物を作って持って行きました。とっても喜んでいました。彼は寄宿舎生でした。家庭が複雑だったとかで、間も無く高校を退学して行きました。後で友人から聞いたのですが、のり弁の事を「あんな美味しいお弁当初めて食べた」と言っていたそうです。(花束さん)

彼にとっては一生忘れられない味になったのではないでしょうか(H)

今思うと、毎日毎日部活に追われていましたが、楽しい高校生活でした。仲間にもう一度あいたい。(まーたんさん)

高校生、少し自分の立ち位置から可能性が見えてきて、ボンヤリ憧れていた「星に関する事≒天文学者」は無理だろうなぁ(・・・なんの努力もせずに)じゃあ何か星に関係した仕事はどうだろう。あ、科学館に天文台があるなぁ、そこで働けないかなぁ、教育関係か、教育大学はどうだろうと、進路の舵取りをし始めた頃ですね。自分に入れる程度の大学を選んで、結局は小学校教員で終わった人生でした。
それでもまぁよかったのかな。(ルドルフさん)

田舎の高校生でしたが、それなりに楽しかったな〜(まちゃさん)

もう60年も前になります。作文が苦手な私は先輩に誘われ新聞部に入部、最初の半年は取材しても、それを文章に起こすのが苦痛で何度退部しようと思ったかわかりません。しかし時間が経つにつれ、文章にし、活字になる事が喜びになり、最後まで全うすることができました。就職し仕事でも文章力は大いに役に立ちました。
楽しい高校生活でした。(としあきさん)

高校生時代!! ず〜っとず〜っとず〜っと昔ですね。詰襟学生服を着てゲタをはいて通っていました。恋愛なんてそんな言葉も知らない生徒でした。楽しかったという思いではありませんね(ヒロシさん)

学生運動が激しくなり始めた頃。高校卒業時は東大の入試がなかった(受けるつもりもなかったが…)共通一次試験の時代。受験に失敗、浪人生活。(のりひでさん)

受験に明け暮れた記憶が、懐かしく苦い想い出しかありません。(ロッキーさん)

半世紀前です。深夜放送族で授業中いつも寝てました。(カッツさん)

50年以上前になります。電気系の大学に行きたくて普通高校に進学しました。でも学校では硬式野球部に入部し勉強そっちのけで練習に明け暮れていました。結局1浪して電気系の大学に進学しました。苦く青春の思い出です。(寅猫さん)

私が高校生だったのは、約40年前。バス代節約のために、雪が降るまで30分の自転車通学。ギリギリまで寝て、猛スピードで登校したのが懐かしいです。雨が降っても迎えに来てもらえず、ずぶ濡れで帰宅しても「天気予報見ればよかったしょ」の一言。お陰で?体力がつき、風邪で休んだ記憶はありません。今は高校3年の父親。言われるままに、送迎に精を出してきたのも、あと2ヶ月あまり。ちょっと寂しく思っています。(ゆうきパパさん)

今の親御さんたちは習い事など送り迎えが当然のようですが昔は一人で通っていましたよね(H)

友達との毎日が楽しく永遠に続いてほしいと思っていた。大人にはなりたくなかった。(あつこさん)

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