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田舎で凧上げや福笑いなど、今はあまり見かけない遊びをした。最近は、サッカー、駅伝、アメフトが正月の楽しみです。(akishuuさん)
某ドーナツショップでひたすらバイトをしていた3年間は正月の実感が全くなかったです。三が日は時給がアップするので世間のめでたさとは無縁でやっていました。(matuさん)
私は大晦日が誕生日で子供の頃は誕生日と正月が続き、とっても楽しい思い出なのですが、大人になってみると親にしてみれば結構これって楽だなあと思ったりして・・・。(もう゛ぃさん)
毎年、実家に帰って、弟の家族と久しぶりに会います(str777さん)
帰省する子供たちを地元の駅で見送り、休みが終わるのが我が家恒例の正月休みでした。ある年、猛吹雪で交通機関がストップし、6時間以上かけてその吹雪の中を空港まで車で送って行ったことがあります。大変でしたが親のありがたみがつくづくわかったと、子ども達に感謝されました。若かったからできたのでしょうね。それ以来、年1回の帰省は夏にしてもらっています。(mikiさん)
実家に帰っての正月、父親と飲むのが楽しみでした。(ruhaさん)
麻雀で年越しした学生時代(irohaさん)
正月に送る年賀状には、毎年家族の写真を付けています。いまでは、みなさん普通に行われていますが、我が家では、53年前から実施して二世代に渡っています。父親がマスコミ関係で写真の扱いに慣れていたかもしれません。(スエさんさん)
お正月は夫の親も来て子供たちも混ざってマージャンをしました。皆勝負事を真剣にやるタイプなので面白かったです。ずーっと前の想い出です。(pasoさん)
既に亡くなりましたが、両親が生きていた頃は、実家に子供たちが集まり、食べたり飲んだり。 そして、トランプや花札に興じ、締めは孫も楽しみにしていた「ほうびき」の時間。 ひもの先に当たりを記す5円玉を結び、みんなで引き当うゲーム。年金暮らしの両親が当たりの景品を用意していました。(現金も含めて) 本当に懐かしく楽しい時間でした。(むっくりんこさん)
横浜でのカウントダウンライブで迎えた正月が楽しかった・・・のですが、帰りが3時頃だったので、眠くて仕方なかったのが印象的でした。(sinさん)
子どもの頃、お店なんかどこも開いてないけど 何か、ものすごく特別だったお正月。 40年以上前のお正月が、なぜが鮮明に思い出されました。(ありゃまさん)
子供の時は親戚一同で集まり、いとこたちと遊ぶのが楽しみでした。今、お正月は遠方に住んでいるいとこたちを思い出す機会となっています。(ppさん)
学生時代、大晦日から三が日までの地元の神社の夕方から早朝までの警備のバイトをしました。エンジンをかけたままの車に待機し、神社の裏に不審者が侵入してこないか見張るのですが、ボーイスカウトの少年が材木を取りに一回来ただけでした。とても楽なバイトでしたが、働いた時間帯のせいで、少し「時差ボケ」状態になりました。(シモンズさん)
お正月は、長沼と札幌の親戚めぐりをして、たくさんお年玉をもらいました。(大学院さん)
結婚して初めてのお正月。大みそかは夫の家で、新潟の酒やイクラの入った具だくさんのお雑煮にびっくり!うちのお雑煮は鶏肉出しの三つ葉が香るあっさり味!今度は夫がびっくりでした。(ゆきおばばさん)
高3の冬休み、推薦での大学進学も決まり、冬休みに初めてのバイトを経験しました。仕出し屋でのバイトでしたが、ほとんど立ちっぱなしで、腰が苦しかったのを、今でも覚えています。(ヨッチーさん)
お正月は初詣以外行くところもなく、混んでいるのも嫌だし、のんびりというより時間を持て余す事がほとんどでした。子供たちが高校生の頃(東京に住んでいました)一度だけ元日夜中に出発し、鎌倉八幡、箱根の芦ノ湖まで行って2日に走る箱根駅伝のゴールを見た年をよく覚えています。 (tokoさん)
San Franciscoの友人宅で家族で迎えたお正月が楽しい思い出です。(きょーこFさん)
いとこと、百人一首したなぁ(やまじゅんさん)
50年以上も前、小学校低学年の頃、お正月に手作業の豆選別作業の手伝いで親にもらったお金で姉妹3人で、6キロ以上歩いてお店に行ってチョコレートかったときのうれしい思い出、この年齢になっても思い出します。 いつになっても、この気持ちを忘れないようにしています。と同時に早くに相次いで去った両親に感謝もね.........。(ふーこさん)
実家では、御膳で年越しをしていました。 子供を連れて帰省した時 御膳での年越しが珍しくて在宅中ずーっと御膳でご飯食べてました。(けいたさん)
もう、15年ぐらい前ですが、インフルエンザで家族全員、当番病院へ行き、年末から3日間寝込み、おせちもお雑煮もなし、ひたすら熱が下がるのをまち続けた。 懐かしい思い出です。(こむぎさん)
岩見沢市では夜中の初売りがありました。確か二日の未明だったと思います。 家族で眠気をこらえ 行ったのを 思い出します。驚くほど賑やかでした。 今でも続いているのかな? (raiさん)
5年前は、アルゼンチンで新年を迎えました。年末年始は日本と同じで、家族と過ごし新年を迎えます。若者は、同じように、外で大騒ぎ。違いは、夏で雪がないこと。熱い正月でした。(zaitonさん)
子供たちが就職してこの街を離れて行き、一堂に会する機会は減ってしまいました。しかし、年末には子供達から好物のリクエストがあるので送っています。それぞれの食卓で昔と同じ新年を祝ってくれていることと思っています。(たまちゃんさん)
子どもの頃、大阪で育ちました。当時、正月には「よそ行き用」といって、歳末に買ってもらった新品の下駄、下着、上下の服を着て、友達と近所のお宮さんへ初詣に。 帰りには境内の露店で買った綿菓子食べながら、ワイワイガヤガヤと帰ったものです。65年以上も昔のことになりますが、今も心に残る「正月の思い出」です。(kagawaさん)
東京に単身赴任していたとき仕事の関係で正月自宅に帰れなくなり1月3日まで毎日仕事をしていました、一人さびしい正月でした(ごんさん)
正月といえば、家族でトランプをしたり、『人生ゲーム』をしたりと年に1回の家族団欒の時だった。今の時代、少なくとも自分の周りではそういうのがなくなってしまった感がある。(みうらっちさん)
お正月は、海外で過ごすことが多く、ホテルでのんびり紅白歌合戦の再放送を見て楽しんでいます。(inaさん)