このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。

画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク

>HOME >投稿塾 >VOL216「いちばん古い北海道の記憶は?」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『いちばん古い北海道の記憶は?』

幌加内町生まれの私は旭川市はなかなか行くことがない大都会でした。賑やかで華やかなうっすらとしたイメージがあります。(ヒロチンさん)

小学生の頃、チリ地震の津波が内浦湾に来た記憶を鮮明に覚えている。(トミー0025さん)

60年前は、鉄道駅のホームで、駅弁やアイスクリームを売っていました。私が子供の頃、近郊都市から札幌へ、私の通院のため母に連れられ列車に乗った時、雪印のカップアイスを食べるのがとても嬉しかったのです。(あおぞらさん)

昔の鉄道の旅と言えば冷凍みかんにプラスチックの容器に入ったパックのお茶でしょうか・・・(H)

昭和30年代札幌市東区のモエレ沼でカラス貝を取っていたら粘土質の土に足が抜けなくなり泥だらけで自転車に乗って帰宅した記憶があります。その当時確か丘珠空港に防空壕がありましたね。(さん)

北海道に初めて足を踏み入れたのは50年前。学生時代のザックひとつの一人旅。急行八甲田で北上し、青函連絡船で函館へ。札幌を目指した列車でまさに北海道の広さ、大きさを体感しました。地図で見てすぐにでも着くかと思っていた札幌があまりにも遠かったから。半日以上かかって着いた札幌は、市電が行き交う大都会でした。でもススキノにはまだバッカスとG4とあともう一つくらいしかビルはなかったと記憶しています。(ふかちゃんさん)

馬車が走り、馬糞が落ち、いわゆる馬糞風が吹いていた。(gibsonさん)

50年ほど前、中学2年。奥尻島の友達の家で夏休みを過ごしました。海に潜ってウニやトコブシを取り放題。海岸で焚き火をして焼いたり生で食べたり。のどかな時代でした。(たかさん)

十勝おき地震です。(str777さん)

少し前までは創成川も汚い川だった記憶がありますが、今は綺麗になって鴨などの鳥もたくさんいる綺麗な川になりました。(ヒロさん)

晴れて暖かい日にお弁当食べると最高の場所になりましたね(H)

47年前に行った、冬のニセコアンヌプリのコテージに宿泊した記憶があります。3歳でした。(木の芽さん)

北海道歴まだ30数年ですが、自分が北海道に来た頃は札幌から浜益村方面に急行や特急のバスが走ってました。(ありゃまさん)

東京から疎開する時に滞在した「函館」。青函連絡船でのDDTの頭からの散布、やっと手に入れた握り飯とイカの味は忘れられない。(いそっぷさん)

今から60年以上も昔の室蘭は,一日中製鉄所からの煙で,空がおおわれて,灰色の街だった。それでも街は活気にあふれていた。(眠りフクロウさん)

芦別の炭鉱鉄道(じじさん)

小樽運河が埋め立てられる前の、寂れていた感じを覚えています。今よりも運河の幅が長かったような記憶があります。(カメラとギターさん)

子供の頃の記憶ですが、ロバがパンを売りに来ていました。正確にはロバがパンの入った車を引いておじさんが売りに来ていました。その時からチョコの入ったチョココロネが大好きでいまだに食べています。だからロバパンて言うのですかね。(えっちゃんさん)

ロバパンの由来初めて知りました!(H)

生まれ故郷の寿都町から寿都鉄道の蒸気機関車に乗った記憶があります。列車を乗り継いで札幌まで10時間以上かかったような気がします。(マコトさん)

昔の旭川駅です。高架になる前の地上駅。富良野線のホームが遠かった記憶があります。(だいちゃんさん)

羊蹄山のふもとで育ちました。6歳くらいだったと記憶していますが、昭和新山の噴火がありました。火山灰が降ってきて、平屋集合住宅に住んでいた皆が(うちの家族も)何だ何だと、出てきた光景が目に浮かびました。(chichiさん)

古い札幌駅。昔は駅の中を通り抜けて歩けた事を思い出します。(みゆきさん)

私は小さい頃 月寒に住んでいました 昔は共進会場 グリーンドームがあったあたりです。住宅地はほとんどなく草むらや川(望月寒川)で毎日遊んでいました。ぎつねや蛇がそばにいても気にしないほど身近なで 川遊びでは土器が出てきたりと 今は住宅の下敷になっていた場所で遊んだ思い出はとても楽しいものでした。(かめじろうさん)

今はブランチ札幌月寒というとてもきれいな複合商業施設になりましたね(H)

40年くらい前だったと思うが静内の桜を見に来たが周りは田んぼだらけで今のような牧場は無くて素朴な花見だった(ふーちゃんさん)

住宅街にまだ空き地がたくさんあった(札幌)(agorunnさん)

小樽に生まれ、70年以上小樽で生活する者にとって、今は何もなくなった、小樽のオタモイにあった遊園地や、そこへ行くまでの、曲がりくねった道路を慎重に運転して、お客を運んでいた中央バスの方々が、懐かしく思い出されます。本当に、昔、あったものがだんだんなくなることは、寂しいものです。(teruさん)

小樽の港に近い住宅街に住んでいました。父は富山の繊維問屋、戸出物産小樽支店の社員。この建物は現在、メルヘン交差点に面した土産物店の「オタルカン」。この建物の向かいの空き地にあったブランコでよく遊んだ覚えがあります。印象深かったのは、水天宮から眺めた築港近辺。貨車に積まれた石炭を貨物船に積むためのトランスポーターが10数機、まるで恐竜の大群のように並んでいるのです。ざっと60年前の風景です。
(Yukiさん)

苫小牧。子ども、大人、老人、たくさんの人がいて、お互いを見守り合っていました。街には活気がありました。お祭り、盆踊り、ローソク出せ、公園での野球など子どもが地域で生き生き活動していました。(もぐさん)

札幌オリンピック(タカコさん)

50数年前の4月根室に初めて行ったとき釧路から列車が出発最初は町並みもありよかったのですが、だんだん荒涼とした風景に代わっていき大変不安になっていったことを思い出します、着いた根室はちょっとした町で安心したことを覚えています。(くまのプーさんさん)

69歳ですが、小さい頃家の前は商店街でお祭りやお盆などは、店〃で露店を出し、それに多くの子供たちが集まっていたのを思い出します。
今はすっかり商店街は消え人通りが少ない道となり、昔の賑わいが懐かしいです。(なおさん)

雪が多く、スキーで移動しました。(メーメーさん)

投稿塾バックナンバー


先頭へ戻る