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40年近く前函館に住んでいた頃、花見と言えば五稜郭公園。公園内で父親の職場の人たちといっしょにジンギスカンに大人はビールが定番でした。(akaneさん)
65年前、道北の小さな町に住んでいました。そこは熊嵐で有名な村落の近くで、古老から熊の恐ろしさを何度も聞かされました。今でも熊出没とニュースで聞くと、幼かった頃身に染みた恐怖感が蘇ってきます。昔も今も、北海道は動物といかに共存していくか、永遠のテーマですね。 (クマさんさん)
最近またヒグマの市街地出没があちこちで報告されていますが互いの領域があいまいになりつつあるのでしょうか?(H)
5歳の時父の転勤で函館から砂原町(現森町)に列車で移動していた時。仁山の駅を出発すると列車が函館のほうに戻ってしまってびっくりしました。後から「スイッチバック」と教えてもらいましたが、とても驚いたことを覚えています。(うにあられさん)
小生74歳。70年前は、戦後の復興が急ピッチの時期でもあった。祖父は、今ではトラック運転手に当たる仕事をしていました。動力源は、一馬力でした。大きな馬が引く荷車。東南アジアから輸入された「生ゴム」の四角い塊を、工場まで運んでいました。一日の労働が終わると祖父は馬車の上で寝てました。馬は黙々と爆睡している祖父を乗せたまま馬小屋に帰ってきました。仕事を終えた馬の眼はうるんだ優しさにみちていました。(ヤスさん)
勇払の辺鄙な地域に住んでおり、定期的に移動販売車が来ていたのを覚えています。(シモンズさん)
小樽花園町に祖父の家があり、叔父の自転車の荷台に乗せてもらって港に行きました。今のフェリー埠頭ではないかと思います。海面にいっぱい木材が浮かんでいました。貯木場だったんでしょうね。外国からの木材だったと思います。3〜4歳の私は「なんでこんなに木が浮かんでるんだろう」と思っていました。(ルドルフさん)
札幌JR琴似駅の踏切 今は高架になり、当たり前のスムーズな交通日常になっているが、一昔前は電車の通過の度に交通足止めされていたのが懐かしい。(ハルさん)
札幌の創成川のうえに仮の小屋が出来て、サーカスを見た覚えがあります 今から65年?くらい前の記憶です(ヒロバアさん)
釧路生まれの66歳です。就学前浪花町に住んでいましたが共同の水汲場で水を汲んできては家の大きな瓶に入れていた記憶があります。(寅猫さん)
北海道に来て50年あまりなのですが、いちばん古い北海道の記憶は、昭和51年に当時の厚生年金会館で行われた北海道大学創基百周年記念式典に出席したことです。(おじさんさん)
道東出身です。子供の頃、畑仕事をしている母が、よく十勝石(黒曜石)で作られた矢じりを見つけていました。(チロさん)
あまり記憶に残る昔の北海道がありません (ごんさん)
昔は町中でも普通に馬車が闊歩していました。 馬のフンを踏むと背が伸びるとの都市伝説?がありフンを見ると積極的に踏みに行ったのを思い出します。効果はイマイチでしたが…。(タロさん)
父は9歳の時両親を亡くし、親戚お家に預けられました。その後母と結婚、大沼から4キロほどの精進川鉱山で自分は生まれました。学年10人足らずの小さな学校。小学校5年生の時ヤマがつぶれ、父は函館まで失業保険をもらいに行っていました。お土産にバナナを買ってきました。初めて口にする甘い食べ物。今でも思い出します。 (松ちゃんさん)
出身地は旭川市です。小中学生の時、冬期間の気温が一定の気温まで下がると、登校時間の繰り下げ、休校となっていました。 (記憶では氷点下20℃以下で繰り下げ、25℃以下で休校?)(ともくんさん)
小学一年生のときに家族で網走に観光ツアーに行った思い出です。当時の添乗員さんにツアーの案内旗を持たせてもらい、ツアーガイドさんの気分を味わえた良い思い出です。(みのさんさん)
小樽の海で親子でカニをたくさんとってきて、家に帰ってからベビーバスに放して、近所の子も集めて、カニ釣り遊びをしました(さとちゃんさん)
私の幼少期、江別駅前は賑やかで、中央通商店街には、デパートも映画館もありました。我が母校、江別小学校も児童数は一千名を超えていました。今の水道庁舎がある神社山で冬のスキー学習を行ったものです。江別市内でも中心校だったはず。その母校が学舎も無くなるなど、予想もしませんでした。これから先、江別市がどのような街づくりを進めていくのか、興味と心配と期待が入り混じっています。(ととちゃんさん)
子供の頃に行った真駒内駐屯地の雪まつりです。自衛隊の方にサポートしていただきながら、大きな雪の滑り台を滑ってドキドキ、わくわくした楽しい思いでです。それに体育館みたいなところで映画も上映していて楽しい1日でした。(ニコチャンさん)
高校生の頃だったか、テレビのコマーシャルで稚内の女の人が窓から身を乗り出し屋根のツララを金槌で落としているのが、とても新鮮で驚きでしたが、結婚して夢にも思わなかった北海道に住むようになり、今、自宅の屋根の巨大ツララに苦労黄色しています??(のんちゃんさん)
つらら落しは危ないですからくれぐれも慎重に(H)
ここ数年、地震、水害等災害級の報道がとても多く、心配になってきます。そんな中、自分の中で一番記憶に残っているのは、当時函館に住んでいて小学校低学年と記憶していますが、夜中に震度5程度、日中にも5程度の十勝沖地震が強烈に印象にあります。函館大学が倒壊し、小学校で見学に行ったのも記憶にあります。いずれにしても日ごろから災害には気を付けていきたいものです。(たっつさん)
函館在住の63歳です。函館の古い記憶。さいかデパート屋上にあった回るレストラン。今はなき連絡船。(chokoさん)
戦後 朝鮮戦争のただ中の頃か 田舎に住んでいた私の家の近くで 米軍による大演習が行われた。 大型の戦車が 畑や山林の区別なく走り回り あちこちに塹壕を掘ったり大型テントを張って基地状態にしたり それは何日も続いた。 子供だった私たちは 時々キャンプを訪ねチョコレートやガム コーヒーや缶詰などを頂き アメリカはすごいと感じたものでした。(秋鮭さん)
私は2年前に札幌に来たので昔のことは分かりません。寒すぎて絶望感しかなかったです。雪もツラいです。(りんちょさん)
小学校5年生の時に室蘭港の石油精製工場付近の港湾でヘーンバルド号(記憶なので定かではありませんが)というタンカーが炎上し1か月間以上も燃え続けた事故がありました。オイル流出を受け対岸の祝津の海水浴場が翌年から閉鎖されなくなってしまいました。今では誰も覚えていない記憶かもしれませんが、私にとっては故郷のさびしい夏の記憶です。(オデッセイさん)
昭和18年、横浜出身で室蘭高等専門学校(現室蘭工大)で寮生活をしていた父が、真冬に素手で真鍮のドアノブを掴もうとして先輩に大声で注意されたそうです。(寒さで手がドアノブに張り付いて取れなくなるそうです。何度だったのだろう? )(たぬちゃんさん)
炭鉱街に生まれ育ちました。祭りの時の賑わいを懐かしく思います。人が溢れていました。(あきおのははさん)
十勝発祥の地と言われている大津で育ちました。田舎ですが、開拓の匂いが残っていました。厳しさの中にも、温かい人のつながり がありました。(やっくんさん)
南国生まれの私が札幌に来たのが今から40年程前でした。 その頃は車はスパイクタイヤタイヤだったので、車粉で路肩の雪山が妙にくすんでいました。 そして春先は路面が削れて車紛が舞って酷かった事を覚えています。 今では環境も良くなり懐かしい思い出です。(いごっそさん)
室蘭市中央町に映画館があった頃、祖父母がスーパーマンを観に連れて行ってくれました。鑑賞後には現在も人気店の天丼を食べて帰りました。懐かしくて涙が出る思い出です。(けいこさん)
最近またヒグマの市街地出没があちこちで報告されていますが互いの領域があいまいになりつつあるのでしょうか?(H)
つらら落しは危ないですからくれぐれも慎重に(H)