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『ああ、空港。』
旅立ちの場所、帰り着く場所、別れの場所、再会の場所、見送り、見送られ……。かつては海の港にあった風景が、今は空の港「空港」に取って変わられました。特に北海道に住む者にとって、空港は身近な場所。空港に行くだけでなんとなくワクワクするのは、そこが多くの新しい世界とつながっているからでしょうか。
きっと数々のドラマがあることでしょう。人生の中で、空港にまつわる思い出、きっとあると思います。楽しい出会いも、辛い別れも、期待も不安も。どうぞお聞かせください。

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かつては、千歳空港で売っている北菓楼の生シュークリームが好きで、毎回買っていた。(ガウスさん)

東北の震災の後、妻が医療支援で宮城県に行って、途中僕が宮城に行って。空港でまた別れる時に、単身赴任は経験がなかったので、悲しいやら辛いやら。泣きそうで。飛行機を待っている間も、何というか、まだ空港の回りも雑然としていたので、輪をかけてくれて。僕、男なのに。(みかもなさん)

ご夫婦で復興支援されたのですね。泣きそうになろうが何だろうがご立派なことだと思います(H)

私が40代だった頃、父が病気になり20年住んだ東京から北海道の実家へ戻る事になりました。この先ずっと東京住まいだろうと思い込んでいたので、予期せぬ帰郷は複雑な気持ちでした。羽田空港から千歳行きの飛行機が離陸するときに涙が出ました。大都会の生活は大変な事も多かったのですが、住み慣れた土地を去るのが悲しかったです。そんな私も、今では故郷である北海道に戻ってよかったと思いますが、今でも空港と言えばあの時の悲しい気持ちを懐かしく思い出します。
(つぐみさん)

移住で関西から新千歳空港に降りたとき、夏にも関わらず涼しい空気にびっくり。気候は夏は涼しくすごしやすいですが、冬の厳しさも味わいました。(ナオキさん)

空港は使わないし、行く事もほとんどないので、
特に何も思い浮かびません。(アンノウンさん)

札幌転勤で初めて新千歳空港に降り立った時の空気美味しかったことが忘れられません。今も
本州から新千歳空港に降り立つとその時の感動は変わりません。(おかるさん)

特に夏場は千歳のひんやりした空気が嬉しいですよね(H)

息子が大学進学で東京に旅立つ時、空港で笑顔でお別れした後、帰りの車で涙を流した思い出。(ゆきんこさん)

昨年初めて一人で東京へ。息子が迎えに来てくれるというので、安心して出口ゲートをくぐったら、いない、、、やっと電話が繋がったと思ったら、駐車場まで来てと。駐車場もたくさんあってあちこちうろちょろ。早くと言われて、冬なのに大汗!息子は優しいのか冷たいのかわからないなぁ。(ゆきおばばさん)

大学生のときに東京に住んでいて、里帰りすると必ず飛行場まで迎えにきたり、送ってくれました(^o^)東京に向うのがさみしかった思い出があります。
今は実家に住んでいて、甥っ子が空港で飛行機を見るのが楽しみなので一緒に遊びに行きます(^^)大学生のことを思い出したりします(^o^)(カヨさん)

両親の実家がある島根空港でいとこを見送る時に、屋上で飛行機が飛び立つのを目の前で見てました。何回見てもドキドキしました。(みゆきびぃさん)

長男が東京の大学に進学となり、帰省のたびに千歳空港を行き来しました。何年経っても、息子が東京へ戻る時、保安検査場に入っていく後ろ姿に涙しました。(チョッパーさん)

出張でドイツに行ったとき、退職された先輩がミュンヘン空港でバイエルン州の州旗を持って出迎えてくださいました。ビックリしました。どえらいサプライズでした。(えぞももんがさん)

20年以上前の事、一人旅でミラノからロンドンへの移動、空港に着いた時は結構ギリギリ、カウンターの長蛇の列に並び、もうすぐ自分の番、と思った時、隣の別の会社の列に並んでいた事に気づいた!すぐカウンターを変えた時にはチェックインは終了したばかり。焦って事情を説明して、プリーズを連発!!ちょうど、搭乗口に行った家族のお子さんが迷子で、走れば間に合うと!職員と走りに走った!乗れた!(おでんさん)

ミッションインポッシブルな体験でしたね(H)

現役時代は空港といえば本社への出張でした、退職後は海外旅行で使うことが多いです(道産子2さん)

実は一度も空港には行ったことないんです?(かなさん)

学生の時、当日お付き合いしていた方が先に就職が決まって東京へ行くことになりました。遠距離恋愛の始まりです。空港へお見送りに行き、彼の姿が見えなくなるまでは涙をこらえましたが、見えなくなってから涙腺崩壊。泣きながら家に帰りました。そのあとは遠距離に耐えきれず別れてしまいましたが、ドラマのような良い思い出です!(きよっちさん)

海外旅行に行くとそれぞれ気候や気温が違うので、面食らった経験が浮かんでくる。12月のソウルの極寒(-7度)・2月のマニラの暑さ(32度)等(タカヒロさん)

祖父が大阪万博に行ったのが、我が家の初飛行機!(toshiさん)

以前、空港から1時間ほどの場所に住んでいたので、子供達が空を見上げると飛行機を指差し教えてくれていたのを、旦那は子供達が飛行機好きと勘違いし、空港の滑走路が見えるところに連れて行ったのです。
最初の2〜3機くらいまでは子供達も「おぉ〜っ」と喜んでいましたが、その後は飽きているのに、なかなか旦那が帰ろうとしません。実際は旦那が見たかっただけだったと判明。
女子には良さがわからないヒマな時間でした/笑(さささの母さん)

4年前に孫が3人だけで来た時には感動しました。
10歳を頭に8歳、6歳の3人で神戸空港から千歳空港まで仲良く元気に来ました。
(札幌のマッペさん)

空港に向かうだけでワクワクします。夫婦2人旅の時も、私一人旅の時も、ドキドキワクワクです。
ちょっとおしゃれしてお出掛けするその雰囲気も大好きです。(びびちゃんさん)

初めて羽田空港から飛行機に乗って千歳空港に来たのがもう40年以上前。初フライトは何だか恐怖心の方が勝っていたなあと思い出す。社会人としての初任地が札幌でした。飛行機での内地への移動が当たり前だから、空港利用にも慣れたけれど、いまだに何だかfドキドキするのはちょっと情けないけど、空港内のエンタメ的な装いはまさに観光地。気軽に遊びに行って楽しく特別感満載のトコロだと思ってます。(たかちゃんさん)

空港ってどこか華やかな雰囲気がありますよね。お勧めは中部国際空港のレトロな飲食街かな・・・(H)

孫たちを迎える時が最高。(くっぺさん)

空港は向かう時も後にする時も良いですね。

私の場合、夫は家に残しての一人旅がデフォルト。

空港に向かうバスに乗込み、出発すると何とも言えない解放感を堪能します。
家庭の雑多な事を処理するのは主に私。何ヶ月か続くと心が凝ります。
新千歳のフードコートで昼間っから小グラスのビールと半ラーメンを味わう楽しさ!

旅を終え降り立つ千歳のヒンヤリ大気が心地よい。

私の暮らしに空港は必須かも。

(コンサ・がんばさん)

空港行きのバスから始まる一人旅ですね(Y)

コロナ禍ですっかり足が遠のいていた空港。先日久しぶりに羽田から国内線を利用しました。空港アナウンスすら懐かしく嬉しい感覚。出発ロビーの大きなガラス窓から飛行機を眺めて搭乗までの時間もとても楽しく感じました。空港自体が旅の一部として楽しみの1つになっています。次は成田から国際線を利用して久々の海外に行きたいです。(きぃこさん)

仕事の関係で、旭川空港から家族で旅立つとき、両親や兄弟に見送られ、つい涙を流してしまった。(ともくんさん)

初めての飛行機がアメリカへの研修旅行でした成田からワシントンDCへの初フライトは快調でした着陸して空港での入国審査で審査官が英語でべらべらと質問されたが、まったく英語が通じずにいると審査官も困ってそのまま観光での入国としたことが懐かしく思い出されます。(ゆきちゃんちゃんさん)

帯広空港は、かつて、市街地に近い場所にありました。当時、幼稚園児だった私は、YS-11型のプロペラ機が団地の上を飛んでいく姿に、「早く乗ってみたい」と思っていました。夢がかない、羽田空港にも新千歳空港にも行くことができましたが、今、思うと、両親は、金銭的にかなり無理をしたのではないかと思います。コロナ禍の4年間、十勝から出たのは、昨年5月の出張のみ。早く、今の”とかち帯広空港”から、国内・海外旅行に行きたいと思っています。(ゆうきパパさん)

一度飛行機に乗って天候不良により現地に着陸できずに同じ空港に戻ってきたことがありました。空港はいつもワクワクするところなのですがその時だけはショックでした。(ハイジさん)

出発空港への引き返し、なんかとっても時間を無駄にした気持ちになりますね(Y)

20年以上も前のこと。夫が10か月間、海外出張になり、新千歳空港まで見送りに行きました。10か月間のんびりできるなーと、うれしい私、無邪気に手を振る子供と裏腹に?夫だけが泣いていたのを思い出します。(たんとびさん)

夫さん、可愛い♡(Y)

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