朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから
千歳空港時代に就職で羽田空港へ初めての飛行機旅行でした。道北の田舎からアルバイトをしながら札幌予備校で勉強していましたが、2年目も志望校には届かずに、結局横浜のガソリンスタンドに就職する事にしての旅立ちでした。誰の見送りも無いままでしたが、就職先の理解も有って大学の夜間部に入学し、卒業後、公共事業体に就職してからの羽田発新千歳空港への帰省旅行。その後旭川空港へも何度か帰省しました。仕事での出張も有って、新千歳空港の利用が多いのですが、初めての南千歳駅から空港までの長い陸橋通路を渡りながら色々な北海道での思い出でや両親の姿などを考えながら歩いた時の事は70歳を過ぎた今でも鮮明に思い出せます。(三毛猫のパパさん)
南千歳からの長い陸橋、懐かしいですね〜(Y)
初めて海外旅行をした20代の頃、フランスのオルリー空港で彼と待ち合わせました。ところが国際線のある空港はシャルルドゴール空港だと着陸直前に気が付き、どうしよう・・・。とにかく降りました。不安ながらコントロールパスを終え出口に向かいました。すると手を振っている彼がいたんです。空港を間違えたと気付いた彼は車を走らせてきたんです。間に合った! 涙の再開でした。(miyamiyaさん)
まるでドラマのような出来事ですね。オルリー空港とシャルルドゴール空港って遠いのでしょうか?(H)
初めてドイツ東部のライプツィヒを訪れた時、着地の際に窓から見える光景が新千歳空港と瓜二つなのでびっくり。気候も近いですから当然かも。当地で食した白アスパラは絶品でした。(Yukiさん)
マニラ空港で乗り継ぐ時に強盗にスーツケースを盗られて追いかけたら、また外に仲間がいた時があります。アラスカ、アンカレッジ空港に飛行機の故障で緊急着陸した事もあります。空港では何かあります。(サトケンさん)
海外旅行は、何時もツァーにひとり参加でした。ベトナムに行ったとき、ホーチミン市ではご夫婦連れと3人でしたが、ハノイでは私ひとり。現地の添乗員さんは若く、簡単な案内以外は着いて歩いてくれるだけでした。こんなひとり旅は後にも先にも、この時だけ。帰りの空港で、小さなキャリーバックひとつの私を見て「荷物、ほんとにこれだけ?」と驚いた顔を時々懐かしく思い出します。(のりちゃんさん)
息子が関東の大学へ進学し休みに帰郷し、関東に帰るため空港での別れの時などは、いずれ関東で就職し居を構えるのかと、複雑な思いをしたことを思い出されます。(秋鮭さん)
空港の前にあるポストに投函すると 当選確率がUPするという話をよく聞くけど 本当なのか…(山菜うどん092さん)
恐らくですが…都市伝説だと思います(H)
東京から離れたことがなかった自分が北海道に来て早15年。両親がいつも北海道に来てくれて、別れの千歳空港ではお互い込み上げるものを隠しながら手を振っていた。今は入院中の親のことで1人で千歳空港へ向かう日が増えた。あの別れの寂しささえ、とても愛おしく思える。(ゆうまおさん)
もう50年前、東京で学生時代を送りました。昼間は学校なので夜のアルバイトをしました。場所は羽田空港でシンガポールエアラインの到着時のタッラプ車で警備をしました。当時は国際線も羽田だけで、北海道から上京した私はとても田舎者で羽田は「外国に近く」とてもモダンに感じました。就職して海外出張をする時は外国がより近くに感じるようになりました。今は70歳、昔のことが懐かしく思います。(たっちゃんさん)
出張帰りに羽田空港でビールとシュウマイのセットがご褒美でした。(さとちゃんさん)
旅に出掛けるときは、あまりゆっくりみることはできませんが、空港に遊びに行くときは、あたらしいお店を見つけ、おいしいものを発見できる、ワクワクする場所です。 (ニコチャンさん)
20歳の頃友人と3人でハワイに行った帰りの空港で、搭乗券を失くしたことに気づいた。 私の席がちょうど3人の真ん中の席だったので、事情を話すとそのまま乗せてもらえた。(そめいよしのさん)
はじめて千歳空港利用したのは受験。 それから新婚旅行、子供の手が離れて一人旅。 今は孫の帰省を迎えに行くお祖母ちゃんになりました。 私の人生を見てくれていたようです、空港は。(ノリコさん)
高校の修学旅行で、自由行動で羽田空港へ行きました。まだ一度も飛行機に乗ったことがなく、小学生の時はパイロットに憧れていた私は興奮しました。宿に帰って友人たちに、「千歳空港に行ってきた!」と、間違うくらい興奮していました。(まささん)
コロナであまり旅行に行けなくて、最近は空港へは行っていない。空港はいつもワクワクするところだ。(かめちゃんさん)
空港には縁が無く思い出は有りません!スミマセン(くうすけさん)
空港で三年付き合った彼と別れたのが空港のロビーでした。遠距離でお互い疲れたのもあって潮時だったのですが、空港のシチュエーションならきっぱりすっきり出来そうと思って実行しました。出発までの間に白黒つけて「じゃあサヨナラ」と機上に。別れるにはもってこいの場所だなと思います(わいんちょこさん)
北海道に来て25年、何度も空港利用しました。主人の定年後は北海道を離れ本州に移る予定です。新千歳空港利用も後三年です(ばいそんずさん)
30年前に埼玉から千歳に引っ越してきて空港から飛行機を見るたびに寂しさと不安で涙が出そうになるのを堪えていました。今では映画を観たり美味しいスイーツ食べたりと楽しい場所にかわりました。(ヨシエさん)
東京から札幌への転勤が決まり、初めて購入したマンションを売却することにしました。転居の手配を終えて、家族と一緒に飛行機で羽田空港を飛び立ち、上空から住んでいたあたりが見えた時に、なぜか胸が熱くなってしまいました。(おじさんさん)
出発ロビーはワクワクする。特に海外への免税店では珍しいものが買える。有効に生かしたい。(茶トラさん)
20年以上も前のこと。夫が10か月間、海外出張になり、新千歳空港まで見送りに行きました。10か月間のんびりできるなーと、うれしい私、無邪気に手を振る子供と裏腹に?夫だけが泣いていたのを思い出します。(たんとびさん)
夫さん、可愛い♡(Y)
一度飛行機に乗って天候不良により現地に着陸できずに同じ空港に戻ってきたことがありました。空港はいつもワクワクするところなのですがその時だけはショックでした。(ハイジさん)
出発空港への引き返し、なんかとっても時間を無駄にした気持ちになりますね(Y)
帯広空港は、かつて、市街地に近い場所にありました。当時、幼稚園児だった私は、YS-11型のプロペラ機が団地の上を飛んでいく姿に、「早く乗ってみたい」と思っていました。夢がかない、羽田空港にも新千歳空港にも行くことができましたが、今、思うと、両親は、金銭的にかなり無理をしたのではないかと思います。コロナ禍の4年間、十勝から出たのは、昨年5月の出張のみ。早く、今の”とかち帯広空港”から、国内・海外旅行に行きたいと思っています。(ゆうきパパさん)
初めての飛行機がアメリカへの研修旅行でした成田からワシントンDCへの初フライトは快調でした着陸して空港での入国審査で審査官が英語でべらべらと質問されたが、まったく英語が通じずにいると審査官も困ってそのまま観光での入国としたことが懐かしく思い出されます。(ゆきちゃんちゃんさん)
仕事の関係で、旭川空港から家族で旅立つとき、両親や兄弟に見送られ、つい涙を流してしまった。(ともくんさん)
コロナ禍ですっかり足が遠のいていた空港。先日久しぶりに羽田から国内線を利用しました。空港アナウンスすら懐かしく嬉しい感覚。出発ロビーの大きなガラス窓から飛行機を眺めて搭乗までの時間もとても楽しく感じました。空港自体が旅の一部として楽しみの1つになっています。次は成田から国際線を利用して久々の海外に行きたいです。(きぃこさん)
空港は向かう時も後にする時も良いですね。 私の場合、夫は家に残しての一人旅がデフォルト。 空港に向かうバスに乗込み、出発すると何とも言えない解放感を堪能します。 家庭の雑多な事を処理するのは主に私。何ヶ月か続くと心が凝ります。 新千歳のフードコートで昼間っから小グラスのビールと半ラーメンを味わう楽しさ! 旅を終え降り立つ千歳のヒンヤリ大気が心地よい。 私の暮らしに空港は必須かも。 (コンサ・がんばさん)
空港行きのバスから始まる一人旅ですね(Y)
孫たちを迎える時が最高。(くっぺさん)
初めて羽田空港から飛行機に乗って千歳空港に来たのがもう40年以上前。初フライトは何だか恐怖心の方が勝っていたなあと思い出す。社会人としての初任地が札幌でした。飛行機での内地への移動が当たり前だから、空港利用にも慣れたけれど、いまだに何だかfドキドキするのはちょっと情けないけど、空港内のエンタメ的な装いはまさに観光地。気軽に遊びに行って楽しく特別感満載のトコロだと思ってます。(たかちゃんさん)
空港ってどこか華やかな雰囲気がありますよね。お勧めは中部国際空港のレトロな飲食街かな・・・(H)
南千歳からの長い陸橋、懐かしいですね〜(Y)
まるでドラマのような出来事ですね。オルリー空港とシャルルドゴール空港って遠いのでしょうか?(H)
恐らくですが…都市伝説だと思います(H)
夫さん、可愛い♡(Y)
出発空港への引き返し、なんかとっても時間を無駄にした気持ちになりますね(Y)
空港行きのバスから始まる一人旅ですね(Y)
空港ってどこか華やかな雰囲気がありますよね。お勧めは中部国際空港のレトロな飲食街かな・・・(H)