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今月の投稿テーマ
『ああ、空港。』
旅立ちの場所、帰り着く場所、別れの場所、再会の場所、見送り、見送られ……。かつては海の港にあった風景が、今は空の港「空港」に取って変わられました。特に北海道に住む者にとって、空港は身近な場所。空港に行くだけでなんとなくワクワクするのは、そこが多くの新しい世界とつながっているからでしょうか。
きっと数々のドラマがあることでしょう。人生の中で、空港にまつわる思い出、きっとあると思います。楽しい出会いも、辛い別れも、期待も不安も。どうぞお聞かせください。

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空港は、ただ飛行機に乗る所だと思っていたのですが、温泉があったり、イベントやいろいろな展示があったりしてとても楽しんでいたら、飛行機に乗り遅れるところでした。(キャプテンさん)

空港が大好きです!飛行機に乗る時はもちろん、乗らない時でも展望デッキで飛行機を眺めたり、グルメやエンタメを楽しんだり、温泉やホテルでゆったり過ごしたり…1日中いても飽きることがありません!新千歳空港は道外の方にも自信を持っておすすめできる空港です!!(maiさん)

空港に対する思い入れと言われても、正直それほど大層なものはないです。
自分にとっての空港は、一交通機関であり移動手段としてしか認識していないせいだと思います。味気ないですねぇ。すみません。
そういった感傷的な要素としては、新幹線やブルトレのほうが車中ですごす時間が長い分あるかも知れないです。
まあ、どちらにせよ交通機関としての認識だけなので、五十歩百歩であることには違いないのですが。(にゃあさん)

夏に北海道から中部国際空港に戻った時、蒸し暑さにがっかり(ヨッコさん)

旅行が大好きなので、空港はワクワクでしかありません!新婚旅行のときの空港での時間は、人生で1番ワクワクしていました!!(みかっちょさん)

福島県いわき市に産まれ育ちました。私が子供の時、福島県には空港がありませんでした。平成5年、娘が3歳くらいの時福島空港が出来、娘に大きな飛行機を見せたくて、行って来ました。翌年旦那が不慮の事故で亡くなり、家族で行った最後の遠出になりました。まだ3歳だった娘は、なんとなく覚えているみたいです。(ゆうにゃんさん)

教師をしています。東京に出張に行く同僚(男性)が家族の事情で行けなくなり、急遽私が行くことになりました。航空券の名義変更をせず、搭乗。帰りの飛行機に搭乗しようとしたところ、空港職員から「別室に」と指示されました。「あなたは〇〇さん(男性名)ですね」私「そうです」  「失礼ですが男性の方ですか?」私「・・・」その後、事情をたっぷり聞かれ大変でした。名義変更しなければ、墜落した時補償されないそうです。(りんご娘さん)

楽しみです(東路さん)

空席まちがギリギリアウト。(まこっさんさん)

沖縄で出会った女性に旅行中に恋に落ち、空港で別れる時辛かったな(Jamaさん)

ネパールからの出国時、なかなか空港までたどり着けませんでした。空港の周囲にはバリケードができ、人々が騒ぎ立てていました。タクシーで無理に近づくと、何かを手にして追いかけてきます。三人の小さな子供を連れて大変なひと時でした。何をどうしたかは定かではありませんが、主人の機転でその日のうちに出国できました。いろんなことがあるものです。

(カボチャさん)

初めて飛行機に乗った時、前日からワクワクして寝られずにいたところ飛行機に乗ったとたんに寝てしまい、気付けば着陸のアナウンスということがありました。一瞬で着いた印象です。(Mネコさん)

生まれも育ちも北海道の自分にとって、空港は友人を送り出し、迎え入れる場所である。
大学入学や就職を機に本州へと引っ越した友人は少なくない。そんな友人が帰省する時、可能であれば空港へと迎えに行くことがある。
自分にとって空港は、旧友と一足早く再会できる、特別な場所である。
(たくさん)

一昨年を省いて毎年夏に娘が孫と遊びに来て切れてました。帰りは、搭乗口から見えなくなるまで見送ってました。いつも寂しさで胸がいっぱいになっています。今年も帰省の予定ですが、それも今年で終わりになりそうです。思っただけで涙がでます。(玉屋さん)

空港といえば、20年前に友人とはじめて旅行に行き、右も左もわからない田舎者の2人でどこに何があるのか、場所もなにもわからず、まわりにいた人に聞いたりしながら、なんとか受付をすませ、ドキドキしながら搭乗した時のことを思いだします。今となってみると、1人でも平気で飛行機にのれますが、当時は本当に辿り着けるのか不安でいっぱいでした。今でも思い出すとあの頃の自分達が微笑ましいです!!(おしるこさん)

中学生の時に住んでいた稚内。仕事の父を残して家族で渡ったのは花が咲き誇る礼文島でした。行きはフェリーで行ったのですが、帰りは礼文空港からセスナ機のような航空機で片道20分少々の空の旅となりました。今と違ってまだ飛行機で移動するのが珍しかった時代でしたが、父からのプレゼントだと知らされました。その礼文空港は現在定期航空路はなく飛行機で行くことができません。空港の前で母が撮った写真が思い出です。(さとり-さん)

長男家族が転職で埼玉に引っ越すときに、苫小牧からフェリーに乗船して見送ったときは、寂しい気持ちでした。でも、毎年、ゴールデンウイークには、息子の家に遊びに行って、温泉や観光旅行に行っています。(石さんさん)

空港で必ず遅れてくるツアーの一緒の仲間、本当に迷惑。(澪ちゃんさん)

地方に嫁いで札幌から離れてJRに乗り 実家から帰るときには 毎回涙してJRにのっていました。今ではいい思い出です。(ひなさん)

若い頃は空港で働いていたためだんだんと事務所の感覚になっていたものが
年をとって姉も娘も本州に嫁ぎ見送りの涙涙の場になってしまった。
(tatsuさん)

自分が旅行に行くときにはわくわくし、最近はアミューズメントも豊富で映画を見に行ったりと楽しむ気持ちで行くときが多く、好きな場所です。(まーさん)

無い、ただ歩いて乗る(なぁ〜おさん)

一年前ガラガラだったのに今は大混雑(ヤロメロさん)

中学生の頃、なぜか私の住む田舎町に男性アイドルがやってきて、空港まで歩いて5キロくらいの道を
友人たちとアイスを食べながら見送りに行きました。遠足みたいで楽しかった。(ヒロミさん)

大学生のとき、当時つきあっていた女性とスカイメイト料金で四国に旅行に行ったのが懐かしいです。スカイメイトってまだあるのかな〜(HAGさん)

羽田空港で美味しいと有名なシュウマイ弁当を、予約して買った思い出があります。(いちごさん)

海外に行く際は必ずレストランでサンドイッチとワインをいただい搭乗を待っていました。
海外旅行へ出発するワクワク感がより高まります。

早くまたあの感じを味わいたいです。(きいろきーたんさん)

コロナ禍であまり外出することができず、道外旅行も憚れる中、それでも子どもを喜ばせたいと新千歳空港のドラえもんスカイパークに行きました。
広い空港内に行くだけではしゃぎ、ロイズの工場の機械にも声を上げて喜んでいました。
ドラえもんに会えて歌を聴いて、とても楽しそうで、来て良かったと思いました!(きゆうさん)

感動ドラマに嬉しい限りです。(ぽんちゃんさん)

昔ys11機に乗った事あります。中標津空港から釧路空港まで帰省のため、初めて乗りました。乱気流に入り死ぬかと思いました。もう1度札幌まで飛行機に乗りたいです。無料券出ないかな。金が全くありません。生活厳しいです。(入れ歯のおじさんさん)

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