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『ああ、空港。』
旅立ちの場所、帰り着く場所、別れの場所、再会の場所、見送り、見送られ……。かつては海の港にあった風景が、今は空の港「空港」に取って変わられました。特に北海道に住む者にとって、空港は身近な場所。空港に行くだけでなんとなくワクワクするのは、そこが多くの新しい世界とつながっているからでしょうか。
きっと数々のドラマがあることでしょう。人生の中で、空港にまつわる思い出、きっとあると思います。楽しい出会いも、辛い別れも、期待も不安も。どうぞお聞かせください。

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帰省で飛行機を利用しますが、だいたいなにかしらのトラブルで出発が遅れます…。(ユウさん)

新千歳空港から中部国際空港に帰る時、空港内のお店でお土産として美瑛選果の「こーんパン」「まめパン」を買おうとしましたが、たくさんの方々が行列をつくって待っておられるのに驚きました。とても人気の高いお土産とのことであり、整理券が配られていました。残念ながら搭乗時間に間に合いそうもなかったので今回の購入は諦めましたが、いまだに食べたくてしかたがありません。(赤ダルマさん)

かなり古い話になりますが、新婚旅行でヨーロッパの各国を観光して帰国する時の話しです。
シャルルドゴール空港で帰りの飛行機を待っていたのですが、霧が酷く出発が出来ず長い間待たされましたが、結局予定の便は欠航となり、次の日に帰国しました。霧が凄いとは聞いていましたが、実感した思いが今でも記憶に残っています。(ゆきさん)

新千歳空港ができる以前、南千歳駅から長い長い連絡通路を走ったことが思い出されます。
また、まだ高速道路が北広島辺りの一部にしかなく、36号線を空港連絡バスで2時間以上?ずいぶん時間がかかったような気がします。島牧辺りではいったん谷へ降りますが、舗装されていなかったのか春先はぬかるみの国道?で、大学生だった私はすごく心細かったことを思い出します。(シュンさん)

2.3年前、雪で飛行機の発着が出来ず、娘が仕事先に行けなかったことがありました。空港に車で送って行ったのですが行くのも大変でしたね。(きたの旅人さん)

学生時代、北海道と東京によく利用してました。当時は、スカイメイトと呼ばれる学割を利用してました。半額で利用できたのは良かったのですが、座席指定ができないため、朝早くから空港で待ち続けなければなりません。
一度、夏休みの帰省時に朝早くから空港へ行き夜最終便まで乗れず帰りました。
今では災害でもなければ考えられないですね。(トモヒコさん)

 現役の初め頃、東京出張は夜行列車だった。青森駅の長いホームを座席を確保するために走った。 その後、飛行機で行けるようになって、全日空727に良く乗った。 機内でテンガロンハットを配っていた時期があったことを思い出す。

(arinkoさん)

中学生の時初めてスカイメイトで飛行機に乗りました。(いずみさん)

千葉に住んでいる孫を見送りに行く所です。次は何時、会えるのかと楽しみに手を振ります。(ひでちょんさん)

初めて飛行機に乗る時、ワクワクしました!(チョコ星人さん)

子供の頃、単身赴任中の父に会いに札幌から釧路へ飛行機で行く事になりました。
恐らく人生初の飛行機だったと思います。
子供心に非日常感にわくわくしながら自分が乗る飛行機を空港の窓から見た記憶があります。
が、かなり小さい飛行機だった事と、かなり気流が乱れたようで、酔いに酔いました。
久しぶりに会った父は喜び、レストランに連れて行ってくれたのですが、レストランに着くなりすぐ吐いてしまいました。(がじゅまるさん)

20年以上前、東北に住んでいた亡き両親が北海道旅行をしたいという事で航空券をプレゼントし札幌に招待しました。家族で両親を迎えるために千歳空港まで迎えに行きましたが、空港で両親を見つけた子供たちが大喜びではしゃぎまわり、それを見て嬉しそうにしていた両親の笑顔が今でも懐かしく思い出されます。(HIDAMARIさん)

空港は新天地での新しい出会いのスタートライン。(ホワイトロックさん)

主人が海外に赴任してもうすぐ5年。
昨年は子どもと赴任先へ遊びに行きました。
空港はその国の匂いがするんですよね。
次はどこの国の匂いを嗅げるのかな。(あっちゃさん)

飛行機が好きなので、空港へ飛行機を見に行きます。(ひまわりさん)

20年前の冬大雪で飛行機が欠航、国際線乗り継ぎがあったため諦めることも出来ず丸一日千歳で過ごし夜にやっと出発。国際線は変更できて無事に乗れたけどあんな大変な一日は北海道ならではだなと今でも思い出します。(豚バラ串さん)

毎度飛行機乗るたびに保安検査場通ってからのワクワク感がたまらないです(みほさん)

20代のころ友達と1ヶ月アメリカ横断旅行をしました。英語はほとんど話せなかったのですが・・・。最後に滞在したホテルで知り合った日本人の調理師の方が空港まで見送りに来てくださり、「その英語でよく1ヶ月過ごしたね」と言われました。。。無鉄砲だった若いころの空港での思い出です。((-_-;))(ああたんさん)

まだ小さい孫を迎えに行って会える時が楽しみです。(brbcさん)

空港行ったときドラマで見るような恋人たちの別れのシーンを見ました。ドラマじゃなくてもあるんだなと思いました(よまたけさん)

コロナ禍以前、内地にいる親戚が祖母の誕生日、お盆だ年末年始だ、何だとよく来ていました。旭川空港には、搭乗に入った人と見送りの人が話せる電話があり、子どもたちはガラス越しに『面会ごっこ』を何故か毎回やっていました。刑事ドラマで予習し過ぎて、我々大人は止めさせるのに難義したくらいの迫真の演技。(キョントさん)

空港に行ったときある俳優さんを見つけすごく興奮しました。そしたらすぐ後にスポーツ選手にも会いました。空港ってすごいところだと思いました(けいこまりさん)

初めて空港に行ったのは小学生の時で、帯広空港から家族で東京旅行に行きました。当時は空港に行っただけでテンションがとても上がり、嬉しかったのを覚えています。車でおじいちゃんの家に行くのと同じ二時間くらいで東京まで行けるなんて!と感動しました。旅行より空港の印象が強かったです。今は旅行に行かなくても、新千歳空港に行くことがあります。おみやげめぐり、食べ歩き、飛行機観察など、1日いても楽しめます。(りょうさん)

福岡空港はコンパクトで撮影スポットも滑走路にかなり近くど迫力な写真が手軽に撮れてハマっていた。地元では有名なスポットなので、ソロから家族連れまで必ず誰かいて楽しかったなー。(よつしーさん)

2011年3月出張の帰りで仙台空港を出発しました。新千歳空港の上空で小一時間位旋回し待たされました。機長のアナウンスでは地震のためとの説明でした。新千歳空港の到着口からロビーに出ると、TVの前に人だかりが、津波が人家やハウス、走行しいる車両に襲い掛かる映像が流れていました。心の中で逃げろ・逃げろと叫んでいました。次の便を予約していたら私も仙台空港で津波の被害に遭遇しているところでした。(あおいうみさん)

あの日は成田に降りられなかった国際線もたくさん千歳に来ていましたね。混乱の日でした。(Y)

羽田の思い出です。母が危篤になり、札幌から埼玉の病院の母を見舞い、翌日羽田でボッとしていた。すると釧路から羽田に到着した姉にバッタリあった。母は娘達を心配したのだろうか。喫茶店で「偶然ね」と話をして別れた。その翌々日母は亡くなり、私は家族と再度羽田に向っつた。羽田に行くたびに母と姉を思い出す。(cowkoさん)

やはり地方に住んでる人達の出会いと別れの場それが空港かなあと
思います。
まあ僕は別れを大事にしたいです。別れで最後がすごく落ち着きあるのがすごくかっこいいかなあと
思います。(野球好き1211さん)

子どもの頃から空港の近くで育ち、遠くに飛行機を眺めて少年時代を過ごしました。田舎育ちの私が、2年の海外勤務を経て帰国する際、米国からの帰路は北海道をかすめて通るのですよね。早く帰りたい、ここで降りられればいいのに、と思いつつも成田空港へ。成田から千歳に降りるときに、航空機の窓から地上を見ると実家の街が。千歳に降り立った時の安心が忘れられません。空港のラーメンがとても美味しく感じました。(ひできさん)

空港でイベントのバイトをしていました。笑顔で迎えたり、別れを寂しく感じたり本当に一人一人ドラマがあると思います。その一人一人の顔をみて、この人はこういう人なのかな?どういう人だろうと考えるのが楽しかったです。(ちくわさん)

小学生から千歳市に居住していたこともあって空港がいつも身近な存在でした。友人の送迎や親戚が利用する時の前泊などで我が家を利用することもあり、遠方からの来客も多かったと思います。今は千歳を離れてしまったので、とても良い思い出です。(甚平鮫さん)

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