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>HOME >投稿塾 >VOL222「ああ、空港。」
投稿塾
今月の投稿テーマ
『ああ、空港。』

家族も知人が内地や海外に移転や転勤する事ももあまり無く以外と空港には行く機会があまりありません。のでたまに飛行機に乗るような時にはめちゃくちゃ緊張するし空港のショップでワクワクしてお上りさん状態になります。(キックさん)

北海道あるあるです。雪で欠航になり成田発グァム島行きに乗り継ぐ為に間に合う時間ギリギリまで千歳空港で待ちましたが結局ダメで夕方ガラガラとスーツケースを引っ張り帰って来ました。(ぽこおばさんさん)

空港でお土産を買うのが楽しみです。旅行のメインが空港だったりします、(みるさん)

今年、子どもが飛行機デビューしました。
空港から見える大きな飛行機に興奮していました。(キイさん)

出発前の限られた時間ですが、順番に飛び立つ飛行機を眺めるのが大好きでした。自分もこれから…というワクワク感もあるのだと思います。
コロナが流行ってからは飛行機に乗っていないので、またあのワクワクを感じたいです。(イックmmさん)

進学で道外に出た息子が帰ってくるたびに、千歳空港へ迎えに行きます。 帰りの見送りは今でも涙が出ます。 元気でね。 次はいつ帰ってくるかな?(まるさん)

金華豚のハムは日本でも有名です。中国の空港で金華豚のもも肉のハムを1本購入し、意気揚々と帰国しました。しかし、このハムがとにかくまずく、とうとう廃棄してしまいました。中国旅行の思い出でした。(TomTomさん)

良いダシがとれると評判の金華ハムですがそのものは美味しくないのかな・・・(H)

家族が多い私には親戚も多いけど、なかなか会えるわけもなく、会えるのは決まって誰かが亡くなった時。それでもやっぱり空港で会えるのはやっぱり嬉しい(めぐみさん)

千歳空港は楽しいです。(はらぽちゃ君さん)

私たちの世代は、本州就職組が多く、当時は青函連絡船、今は空港の別れです。
今はコロナで開催されていませんが、本州でクラス会、地元でクラス会も5年ごとに開催し別れは空港です。
老齢になり、故人になる人も多く、もう会えないかもとお互いに言いながら分かれます。
田舎で一緒だった同級生、そろそろ動けなくなるのを考え会う機会を設けています(ふーこさん)

東京の出張の時に生まれて初めて千歳空港から飛行機に乗りました。職場の先輩が心配して見送りに空港まで来てくれました。今となっては感謝です。(ダルセツさん)

九州から千歳へ帰ってくるとき、北海道吹雪のため欠航し何回か福岡の街で過ごしたことが懐かしい(新型コロナのためここ何年か旅行をしてないので)(くまのプーさんさん)

昔の千歳空港が懐かしく思います。未だこじんまりとした田舎の空港だったと記憶してます。(ラフイーさん)

空港には行った先々での思い出があります。乗り換えで寄った空港は、一度だけの思い出です。特に、海外での乗り換えは、その国のほんの一部を垣間見るようで、面白かったです。英国ロンドンのヒースロー、エジンバラ、アラブ首長国連邦のアブダビ、中国の香港等、海外旅行のハブ空港は大きくてその国の一部を楽しめました。機会があれば、乗り換えで、また、旅行をしたいと思っています。(ヨコ母さんさん)

大雪のため飛行機が飛ばず、海外旅行に行けなくなったことがあります。成田乗継で関東は晴れていたため、余計に無念でした。おまけに団体旅行のツアー会社が小さかったため電話がつながらず、ツアーデスクも設けられず、3~4時間待ってあきらめて帰宅しました。教訓:大手に頼むべきだった。ただ、当日夜に電話が来て、翌日手配直し等になり、閑散期のため翌々日に旅行できました。ただ、連絡しておいてと念を押したにもかかわらず、現地ガイドが空港でだいぶ待ったとのことで気の毒でした。教訓:同上。(猫野コネさん)

冬の旅はアクシデントとの戦い。数年前の年末年始に家族でディズニー旅行を企画、喜び勇んで新千歳空港へ。搭乗手続きを終え、まもなく我々の便だと待ち構えるものの空模様が怪しくなりすんでのところで欠航に、さあ困った。こうなれば「幸い」開業したばかりの北海道新幹線がある。新函館まで何時間もかけて車で向かうことに。目的地まで一昼夜「欠航は結構…」、すっかりくたびれながらも良い思い出に。(Isshunさん)

ひとつの県でこんなにたくさんの空港があるのは北海道だけ。別れと再会の場所です(うさぎさん)

私にとって空港は、旅の始まりのワクワクと、帰郷の安堵の場所です。一度だけ不安とハラハラを経験しました。友人とお互いの所から中間の仙台で待ち合わせプチ旅の約束をしたのですが、乗る予定の便他多数が雪の為欠航になったのです。滑走路が限られ、窓口は全てキャンセルや変更問合せで長蛇の列。その間を係員が、その日最終便となった仙台行の他社便の搭乗案内をしていたので、必死の頼みで搭乗! ハラハラの5時間半でした。(るなきちさん)

雪のトラブルに関しての投稿が多いですね、皆さんご苦労されていますね(H)

出身が福島県の私は、お産のたびに実家出産を選んだので、我が家の子供達は生まれる前から、生まれてからも小さいときから何度も飛行機を経験しています。お祖父ちゃんお祖母ちゃんに見送られるときの、離れがたい様子が懐かしいです。(nikaさん)

初めての一人暮らしで新潟に飛び立つ前、新千歳空港で両親と号泣しました。(みさとさん)

息子がまだ1歳の頃、親がカウンタースタッフの女性と話していたら、息子が自分に注目をひくためにカウンターをバシバシ叩いた時は笑ってしまいましたね。(あっつさん)

大学受験の時、初めて飛行機に乗りました。行き先は函館。出発は今は懐しい(旧)千歳空港。一浪の末、二浪はできぬと覚悟を決めての旅立ち。出発前、喫茶店に入って間もなく、テレビで見覚えがある女性が隣席に。当時人気のNHKの朝ドラのヒロイン・女優の紺野美沙子さんでした。同行した友と勇気を出してサインをもらいに行くと快く応じてくれました。結果、受験にも成功し、こりゃー春から縁起がいいわいと思った思い出です。(みうらっちさん)

転勤、旅行、出張で千歳、羽田空港を中心に何度利用したことか。道内外の地方空港も、地域の特徴があって好きです。(やすしさん)

大雪の日に羽田空港で10時間以上過ごしたことがありました.辛かった.(キョウゴさん)

あれは5年前、中部空港からの直行便で千歳空港に帰る時だった。なんと飛行機の手配が付かないため約2時間の遅延に遭遇した。「え、千歳23時頃、JRの最終に間に合うの?」。あの時の不安と苛立ちは忘れない。千歳に着いた。JRの最終まで数分。機内から焦った。皆さんも走った。人気の無かった空港内は騒然となった。「あっ、電車が待ってくれていた」。JR職員が叫ぶ「切符は買わないでご乗車を」。救われた。

(ちっちゃんさん)

初海外出張はチェックインからドキドキものでした(しょっちゅうさん)

関東に住んでいた時、札幌の実家に帰省するため羽田空港にいました。娘がまだ1歳でトイレでおむつ交換をし、チェックインして中で待っていた時に気づきました。娘、靴を履いてない。おむつ交換でベビーベッドに寝かす時に靴を脱がして床に置いたけど、履かせないでそのまま連れてきてしまった。急いで係の人に事情を言い、私一人トイレまで行きましたが、その時に限って、かなり離れたトイレだったので、猛ダッシュ。なんとか出発時間に間に合いましたが、嫌な思い出です。(ましゃゆきさん)

国交回復前、北京空港で給油中に警備隊員に銃を向けられいたのが凄かった。そんな時代があったのよ。(チロさん)

昔のソ連も空港には自動小銃を構えた警官がうろうろしていたそうです・・・(H)

千歳空港の温泉施設はいいですね。町内会のレクリエーションで行きました。皆さん普段の空港利用と違う利用で喜ばれていましたよ。(ヒロシさん)

平成元年に4度目の転勤先として札幌に命ぜられました。関東産まれ関東育ち、初めての北海道で土地勘もなく不安いっぱいの中、千歳空港(新千歳空港)着きました。空港から札幌までの距離が本当に長く感じたことを今でも時々思い出します。
(セイジさん)

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