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連綿と受け継がれていく生命を「家系」から考えてみるとやはり不思議なものです。そこで今回は春のお彼岸を前に、ご先祖様への感謝の気持ちやルーツについてお聞きします。一族ならではの掟(?)やしきたり、遺伝や家系図の話、お彼岸・お墓まいりでの家族のエピソードなども!
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命のバトンを脈々と受け渡して、ただ今、私の番が廻って来ております。様々な苦難を乗り越えてここまで受け継いで来てくださった事に感謝します。次のバトンを渡す日まで精一杯生きます。おかげさまで、毎日幸せです。ありがとうござ います
我が家の先祖は源氏の武士だったり、ロシア人の血が入っていたり、豪商という話や名主だったらしいといったり・・・・・。先祖についてはもはや伝承ではなく伝説です。ま、三代前までははっきりしているからいいか!って感じです。
自分の子供の世代までは、墓参りを教えています。今後、日本の墓のあり方は、どのように変わっていくのでしょうか。自身は、心で感謝していれば、形にはこだわらなくてもよいと考えております。
家族を作って居ないが為に、先祖の墓を守事の不安が大です。
母が今年1月に亡くなりました。葬儀には孫5人、ひ孫2人が来てくれて命のつながりが実感できました。老木が朽ち果てその後に若木が数本育っていくのを感じました。
毎年、お盆の時期に墓参りしています
私の祖先は、鹿児島県の隼人市で農家の営んでいました。父親が、事業の都合で東京さらに札幌へと居を変えました。私は、1歳で鹿児島を離れたため、故郷の記憶はまったくありませんでした。それが、祖母の30回忌の法要で帰郷することになり、初めて彼の地を訪れることになりました。多くの親戚にも会いました。先祖供養というのは、故人を偲ぶものですが、実は現世の我々のためでもあると、つくづく感じました。
今の自分がいるのはご先祖さまのお陰と感謝してます。
何があっても必ず年最低3回は行ってます。命日・お盆前後
先祖のルーツについて、生前、父親が「徳島県」だと話をし、いつかルーツを訪ねてみたいと言っていたのを覚えています。 父親が亡くなってから15年が経ちましたが、今度は自分が父の遺志を継いで、近い将来行ってみたいと思っています。
特に平凡な家系ですが、引き継がれてきたのはお正月に食べる お雑煮を男性 父が決まった具材で、作る事❓ 昔、嫁姑の仲の悪い母、祖母が顔を合わせる機会⁉️ だったような・・・
今年も家族で、元気に暮らせるようにお願いします。
春はお墓が雪で埋まっているため、ゴールデンウィークに墓参りに行きます。 お墓の前で持って行った供え物を食べます。
必ずお墓参りに家族で行くことにしていますが、最近は孫の家族も一緒に行ってキャンプもします。
子供の頃から「うちは町内でも・・・」と由緒ある家計に育ち、寝る前には父と母の前に両手をついて「お父さん、おやすみなさい。」、「おかあさん、おやすみなさい。」と頭を下げるしきたりでした。その後、家業は倒産し、長男は一介の介護職員となり、早く亡くなった事で「認知症」や「同居」等の不安を軽減してくれた両親への恩返しの気持ちで働いています。
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自分はクリスチャンなので、日本人の一般的な「ご先祖様」像とは異なる部分があるかもしれませんが、自分のルーツには興味があります。親や、それにつながる連綿とした人とのつながりがあって、自分が今ここに存在する。また、妻やその家族とのつながりが、子どもたちへと受け継がれていく。私たちの平和への思いも、親から子へと受け継がれていくのだと思います。 先に天国へと戻られた親しい者たちとのかの地での再会を楽しみにしています。
両親は東京でお墓も東京。兄の私は北海道で弟は神戸。 この先どうしよう…。 ご先祖様のためにも、両親には200歳ぐらいまでがんばってもらおう!
祖父は東北に住んでいたがなまりが強く何度聞き返しても何を言っていたのかわからなかった。おじいちゃんあの時何て言ってたのですか?
私の故郷は徳島なので一年に一回帰省した折に、父のお墓参りをしています。父のお墓は市内の中心部にありとても交通の便利なところです。お墓参りをすると何故かホットします。
私の先祖は清和源氏で神主と伝えられています。妻の先祖は四国の祖谷へ落ち延びた平氏と聞いています。その昔なら、おそらくありえない取り合わせです。
ご先祖様へ、途絶える寸前だった位牌の数々(7人分)、夫が亡くなったのと男二人がいる我が家にやってきましたよ!!ご安心下さい、長男、男孫とこの先100年は大丈夫ですよ。 しっかりお守り致します。 しかし、不思議ですね、お金が一銭もついてこないのです、私から見れば以前お守りしていた方、ご先祖様に申し訳ないと思わないのですか?と問いたいですね。
私の先祖は平氏、夫の先祖は源氏です。その昔なら、おそらくありえない組み合わせです。
ありがとう
まずは必ずおはぎを作ってお供えしてからいただきます。おはぎ=お彼岸ではありますが、代々みな甘い物が大好きなので普段のお供え物に悩む事もないのが取り柄の一族です(^^)このように大好きだったものをお供えしては皆で後からいただくというのは長い習慣ですが、糖尿病には縁がない家系だというのも取り柄といえましょうか(*^^*)
お墓にはなにかと面倒なことがあるようですが、夫の実家では義母がお墓を建てるとき、血のつながった人たちがみんな入れるように願いを込めて、○○家ではなく、言葉で墓標を入れました。霊園がどんどん開発されていくのを見ると、この形いいなと思います。無縁墓地になることもなくて。
自分の顔立ちは、祖父からの遺伝
私の先祖は宮城出身で 向こうに三浦村 というところがあるそう。一度行ってみたい。
うちの家系はずーと次男が家を継いでいくのが続いています。祖父も父も私も家をでて次男が家を継いでいます。
一度自分のルーツを辿ってみたいです。
・最近、本家から家系図をいただきました。大切にしています。 ・お墓参りの時、父が必ず「また1年それぞれに頑張っていこうな」と言うのがとても頼もしく、家族を強く感じしっかりと生きていこうと決意する瞬間です。
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困った時のご先祖様頼み(ごめんなさい!) 何時もは とても感謝しています
実家が遠く、仕事がらお盆や彼岸に帰省できないので、特に時期にこだわらず必ず墓参りには行ってます。宗教にあまり詳しくありませんが、気持ちの問題だと考えています。 先祖に感謝です。
一年に4回はお墓参りしてご先祖様に感謝を伝えてきました。そのためか、困り切ってしまう難事もどうにか乗り切れるくらいまでに改善されてきたように思います。これからも感謝の気持ちを忘れずに元気なうちはお参りに行きたいと思っているのですが、子供たちが信心の気持ちあまりない様子で、自分が死んだあとはほおっておかれそうな気がしています。
御参りに行きます
加齢とともに鏡で見る顔は、亡き父と母に似てきました。不思議ですね。元気に過ごせていることに感謝です。
なんの霊感もない私ですが、時々家の中で、風もないのに物が動くことがあります。例えばクリスマスツリーの枝が一本だけとか干してあるタオルが一枚だけとか。その度、ふっと思い出すのが、おじいちゃんだったりおばあちゃんだったり‥‥。ご先祖様に見守ってもらっているんだなぁー!感じるひと時です。
北海道に現在住んでいます。春彼岸、旧盆と秋彼岸、正月の一年に3回先祖のお墓のある岡山市に帰っています。そして、4回お墓参りを62歳から続け10年経ちました。その結果 今では、北海道に5ヵ月、道中1か月、岡山で6か月の生活になりました。
女系の我が実家、最後の男子の弟も独身。多分ご先祖様達と一緒に永代供養という事に。
一族で集まることは全然ないので、そういう機会がある人が羨ましいです。
親戚づきあいの希薄な家系ですが、昔からでしょうか?あまり親しく付き合うと、諍いが起きやすいので、うすーい関係です。墓参りで、お互いの存在を遠くに感じる程度が争いをまねきませんので・・・。
お彼岸のお参りには、おはぎを持って行きます。 お墓に供えたら皆で手を合わせ、お墓に向かって「おじいちゃん、来たよー。」と話しかけます。不思議です。 その後、おはぎをご先祖様と?一緒に食べます。その時間は幸せな気持ちになります。
守られてる気はしています。
ご先祖様が道楽をしなければ、子孫は繁栄していたはずですが〜。感謝というよりも愚痴ですね。あの土地と山さえ残してくれていたら、どんなにか助かったことか。
金運と強運はどこですか!?
母方の家系では、お墓参りはお盆時期に盛大に行っています。私は、残念ながら、遠方に住んでいることもあり、毎年の参加はできていませんが、その日は、朝から親戚達が集まって、お墓参りをし、昼ごろから宴会?が始まります。いろんな昔話がでて、楽しく過ごさせてもらっています。
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お墓参りの時には、掃除をしてお参りした後は、みんなでご飯を食べます。私は一升のお米を炊いて、12人分のおにぎりを作ります。義妹はおかずを作ってきてくれます。お正月とお墓参りは、必ず姉弟・姪など親族が集まる大切な機会です。こん
北海道なのでしきたり、家系図、何もありません。なので、自由です。しきたりにとらわれないので助かっています。
お寺にお参りに行くと、娘は必ずお地蔵様にお金(小銭)を供えます。まだ、子供なのに~
私の父親が息子が1歳の時に亡くなったので記憶がないはずなのに実家に行くと必ず仏壇のま前に座りしばらく手を合わせ会話してます。そんな息子も現在18歳ですが未だに続いてます。父が生きていたらきっと…とつい涙が出ます。
雪が融けたらお墓参りにいきますよ。。。
ご先祖様には、いつも見守っていて下さってありがとうございますの言葉しか思い浮かびません。
今年は、父方と母方のルーツを探るべく、戸籍調査をしようと思っている。これによって、今は完全に消息が途絶えた親族が見つかれば、楽しいのでは?と思っている。
母方のほうは、わかるのですが、父方のほうは、疎遠で、わかりません。知りたいような気がします。
4月8日に地蔵構という食事会がありました
男が全員もれなく嫁の尻に敷かれている。劣性遺伝…?
いつも見守っていただいてありがとうございます
なかなか子宝に恵まれないのでご先祖様にコウノトリになってもらいたいです!
何十年も前に、関東周辺の大学で社会学系を専攻したせいもあり、卒業後、自分の先祖を調べて見たくなり、父方と母方の先祖をたどれるところまで調べ、それぞれの先祖がまつられているお寺をお参りすることができました。親戚の方々に戸籍謄本を役所で取ってもらい、それぞれの出身地と思われる役所やお寺を訪ね歩き、たくさんの方々の手助けがあり、最古は、1800年代までたどることができました。中には、飛び込みで行ったにもかかわらず、こころよく過去帳を出して来て下さり、一緒に探してくれたお寺の方もありました。今、現在、生きて何とか仕事ができるのも、ご先祖様が一生懸命に生きて下さったからだと思います。自分の命を次世代につなげるのが自分の仕事だと思っています。ご先祖様、お世話になった方々に感謝!今を生あることに感謝!
我が家では毎年必ず墓参りに行っております、天気が悪くても必ずです。
今の名字のルーツを聞くと、藤原系と言っていた。息子には「鎌足」と言っている。
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昨年、母が亡くなり子供(自分たち兄弟姉妹)の代に完全移行…法事には配偶者や子供たちを入れると30人を超えますが、もう法事のときぐらいしか会わなくなるんだろうな…親が(特に母親が)亡くなると、実家への足は遠のきますね
御先祖様にはいつも感謝しています。
子どもが5月の連休に結婚式を挙げます。いろいろな決め事の合間に、しみじみ亡くなった両親の事を思い出します。自分の結婚のことを思いだし、親のありがたみを十分に噛みしめています。
時にご先祖様の記憶が蘇り、ついありがとうごめんなさい許して下さいね。愛してます。と心で思いますよ。
父は秋田県出身(花輪)であるが、そこは南部藩であると分かった。母方は南部藩であるので、、私も南部藩の末裔であると確信した。
遠いですが、毎年お墓参りに行ってます。
私の先祖は福島県。東電福一の事故のため、もう、行く事は出来ません。
亡くなった父が次男で、長男が東京に住んでお墓を所有しており、ご先祖のお墓参りがなかなできません。それでも、亡き父の為に、札幌にお墓を持ちましたので、節目には、母や兄弟とお墓参りが出来て、心安らいでいます。
私が、誕生するのに両親がいないと考えられませんので、ないがしろにはできません。還暦を迎えたこの年になって改めて親のありがたみを感じます。
特にありません、今まで家系とかルーツ等考えたことがありませんでした
年末に亡くなったおじいちゃん。いつまでもそばにいて見守っていてくださいね!
父のお墓参りには結婚した姉妹たちも全員集まりますが、墓の掃除などはみんなでそこそこやって、すぐにレストランに再集合。なかなか集まれない家族たちが集合し、近況などに花を咲かせます。 墓参り、という大義名分で集まっていますが、レストランがメイン。でもその娘たちの姿を父も微笑ましく見守ってくれていると思います。
15年位前の話ですが、母方の実家には、墓があるものの跡取りが無く、父方の実家は菩提寺に納骨堂が二か所もあってどうしようかと思っていたところ、母方の墓が相当古くなっていて、父方と母方一緒にして建て直したらどうかということになり、宗教が違うけれど、両家お金を出し合って合同の墓を建てました。両家の先祖等合わせたら結構な人数分のお骨が入っていますけど、賑やかでいいと思っています。
お彼岸には、いつも”墓参り”はしますが、春先は札幌なので、”雪”が積もっているため、家の仏壇で、”お坊さん”にお経をあげて貰って、その後家族みんなで、”昼食”を外でするのが恒例の行事になっています。 以上
曾祖父が和菓子屋さんだったということをつい最近知りました。 和菓子好きなのはそのせいか!と腑に落ちました。
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お墓詣りの際はカラスが悪戯するのでお供え物を置いたままにしないようにとお達しが。いつも大好物(私の!)をチョイスして下げたものをありがたくいただきます。ご先祖様も喜んでくれているはず。
今、父の戸籍を調べています。私の曽祖父母やその兄弟達の名前が出てくると、ここから繋がってるんだなあ、と改めて思いました。その時代に生きて北海道に移住してきた祖先の苦労など感慨深いものがあります。
家系図が無かったので、私が先祖の戸籍を集めて作りました。明治以前までさかのぼれました。
ありがとうございます。おかげ様で元気です。
お墓参りで、お墓の前に敷物を敷きお供えしたしたものを食べる事に、道外出身の同僚に驚かれました。驚かれたことに驚きました。
北海道にやってきた私のご先祖様。いつ、どなたが来られたのか、存じませんが、極寒の地での生活は楽ではなかったと思います。
もう40年ほど前になりますが、実母がなくなってから初めて、宗派とお寺を知り、慌てて枕経のお願いなどをしたことです。ただ今は自宅とお墓が離れているので、多くても年2回しかお墓参りができない事が残念です。
早く逝ってしまった父さん。私も父さんの年齢を超えました。どうか空の上から「母さんの健康」を守って90代を元気に過ごせるようにしてください。宜しくお願いします。
子だくさんのご先祖様のおかげで、子供に恵まれております。ありがとうございます!!!
父方・母方の苗字を見ても、珍しくルーツがわかりそうだが、入植後くらいしかわからないご先祖様。 あまりこだわりがない一族らしい… たぶん…わからないまま、北の地に紛れて消えることと思います。
「千の風」では、そこには居ません。と言ってますが、私たちが、御墓参りに行った時は、どこにいるんですか?既に生まれ変わって、そこにはいないんですか?
実家では1日もかかさず、お仏壇にお供物と御線香をあげます。祖母から母へ、そして今はお嫁さんがお供えしてます。あらためて考えると、ご先祖さまへの感謝は実家では当たり前の事。欠かせないものですね。
我が家のご先祖は四国の愛媛から北海道の開拓に入ったそうですが、それと関係があるのかどうかわかりませんが、私たち8人兄弟姉妹は「お兄ちゃん、お姉さん」などと呼ばず名前で呼び合っています。周りの人たちからは変な家族だと思われているようです。何か西洋風でこれもありではないかと思います。
祖母のお墓参りをする時、みんなでお供え物を持っていくのですが、お墓が山の上にあるので着いた時には皆で手を合わせてお参りをしてからお供え物を全部食べて帰ってきます。ワイワイととても楽しいのですが、おばあちゃん、お供え物いつも食べてしまってごめんね!
いつもご先祖には感謝しています
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いつも見守ってくれてありがとう。
うちでは墓を守るのは長男の役目。時間の問題で自分(長男)の番です。親には出来るだけ長生きしてもらいたいと思うこの頃です。
掟はありません。今の自分があるのは、先祖のお陰と思っているので、感謝の気持ちは忘れたことがありません。
高野山にある我が家のお墓。 何年も墓参りに訪れていましたが、去年初めて高野山自体を観光しました。
遺伝子には逆らえないと思います。
うちの家系は代々受け継がれた家紋があり、女紋まであります。 私の子どもからその子どもまで、ずっと引き継ぎたいと思っています。
今の時代に生きていられることをご先祖様に感謝し続ける日々です。
ご先祖様に一言 普段、気にかけていない罰当たりな私ですが、身に危険を感じると、守られてるなぁと感謝しています。ツルツル路面でスリップした車が、歩道に乗り上げて来た時に、私の後ろ1mぐらいで塀にぶつかって止まった時や、子供たちが交通事故に遭っても怪我ひとつしなかった時などは、仏壇に手をあわせて感謝しています。毎日、拝んでいれば、そのような事にも合わなくて済むのかもしれないのに、ついつい忘れてしまい申し訳ありません。これを機会に、明日からは、毎日拝むようにしたいです。
父方の祖母はまだ存命です。確か90歳は超えています! でも、耳はちゃんと聞こえるし会話が普通に成り立つのです。スゴイでしょ? オレオレ詐欺の電話も撃退した実績もあるんですよ!! 父はもう亡くなっていますが隔世遺伝で私も長生きできるかなあ?
視力です。代々、牛乳瓶眼鏡の家系です。どこかで断ち切れないものでしょうか?ご先祖さま
四国の田舎にある私の実家のお墓。大きな灯篭を飾ったり、お花ぎっしりなどお彼岸などのお参りはとても派手です。ですが、ある時、いつも自分のご先祖様のお墓にある大きな灯篭を立てる杭がなく、盗まれたと母が大騒ぎしました。家族中がお墓近辺、家の中や外を探しても見つからず・・・。竹で代用しましたが、ある時車庫を掃除すると出てきました!母親がお墓で取られないようにもって帰って隠していたみたいです。取られてなくてホッ。そそっかしい母親は忘れていたようです。お彼岸になるといつもその話でみんな笑います。
両親が幼い時に亡くなり、その顔さえ覚えていない。どんな人だったのだろう。どんな人でもいい、できるものだったら逢ってみたい。
亡くなったおじいちゃんのことは、みんな『おじじ』と呼んでいる。
岐阜県出身の夫が札幌にある我が家のお墓参りを初めてした際、一段高くなった敷地内を靴を脱いでお参りしたのを見て驚きました。
家族で父の墓参りに行った時「父さんがすごく喜んでいた。」と母が言いました。 その声を聞いたのは母だけでした。
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祖父が先祖を調べて作成した家系図があります。 引き継いでいきたい
家系図を調べて行くと意外な絆に遭遇
春のお彼岸でお墓参りに行ったのですが、雪が深くてお墓までたどり着けず遠くから手を合わせて帰ったのが思い出します。それ以来、春のお彼岸はお墓参りには行っておりません。
一人っ子なのに結婚できなくてごめんなさい。
昨年2月父親が他界しました。その前の年のお盆に闘病中の父親を連れ立って遠く離れた祖父母(父方)のお墓参りの旅(一泊)を決行しました。しばらく訪れていなかったのと父が何かを感じたのかお墓参りをしたいとの希望で。数回しか来ていないしお墓も沢山増え探すのが大変と思われましたが記憶をたどり父が自ら発見!ずっと大雨だったのにお墓についてから墓地をでるまでの間不思議と雨があがって!帰り道名所の湖に寄ってみるとまた着いた途端雨があがりガスがかかっていた湖も見え!車に戻るとまた大雨! 車での長旅でしたが父親の体調もよく、家族全員での奇跡続きのお墓参りの旅となりました。
私の姓は珍しく家計(先祖)に大変興味をもっておりましたがたどるには費用も時間も必要でなかなか調べることが出来ませんでしたが先日ネットで調べてみたところやはりお城に従事していたことがわかりました、機会があればもっと詳しく調べたいと思っています。
良い事をした時も悪いことをした時も、ご先祖様が見ているよというのが母の口癖でした。 ご先祖様は怒ってばかりだろうと思います。ごめんなさい。
ご先祖様に一言・・・ 薄毛の遺伝子は今も受け継がれております
あまり先祖のこととか考えたことなかったけど、母親が毎年お墓参りしていくのをみて、大事なことなんだな~と思います
命を授けてくださってありがとうございます。
素敵な旦那様との出会いに感謝しています。息子すくすくと成長しています。
僕はハーフなので、自分のルーツをいつも考えています。
我が家でどうしてお正月にすき焼きを食べるのが恒例なのでしょうか???
なかなかお墓参り行けなくて申し訳ありません。
ご先祖様!!うちの家系はどうしてA型ばかりなんでしょうか?
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私に出会いをください!!
中学の時に病気で母を亡くし、3日間泣き続けてたら夜中に金色でまぶしい物体が枕元にいたのですが、怖くて見ることができませんでした。あまり泣き続けたので母が心配してあらわれたんだろうと思い、立ち直ったのを覚えています。今思い出しても不思議な出来事でした。
これからも見守っていてください
毎朝 神棚にお祈りしてます
お墓参りの後は、いつもうどんを食べに行くのが恒例です。
お墓がすごく大きいので、驚きました。 大切にしなくては・・・と思います。
女系一族な我が家。お墓参りにいくとずらりと女性ばかりが並んでなんだかおかしくなります。(笑)
墓参りに行っていつも墓を探すのに手間取る。
夫の実家の本家筋ではかなり遡った家系図があるらしい。それも今のご主人が調べ上げたという。その情報収集力がすごいと思った。
お母さん、お父さんに続く家系で産んでくれてありがとうございます! おかげでお母さん、お父さんのもとに生まれることができました!
明治の初めに北海道に入り、努力と苦労があったから今がある、只々感謝です。
両親は甘党,命日が近づくと甘いものを買う雰囲気になるから不思議。
両親は、公務員。母方の祖父は営業マン。反面教師なのか子供は営業マン。親の仕事である公務員をけちょんけちょんに言います。親戚は公務員が多いので、祖父に似たのかと嬉しいやら、不思議な気持ちです。
一族の掟1 毎朝新聞に目を通すこと。掟2 なるべく歩いて移動すること 掟3 薬に頼らぬこと などです。
お正月三が日はえ焼いたお餅を食べてはいけない。結婚してはじめて当たり前ではないと知りました
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私の父親の家系は身長が高いんです。 私の父は 昭和ひとけたで180cm。 私のおじいちゃんは明治の人ですが 177cm。 当時としては かなりの大男扱いされていたらしいです。私も40代をゆうに過ぎましたが 昨年の健康診断で学生時代の身長より2cm近く伸びていました。 ネコゼが治ったのでしょうか?(笑) それとも 本当に家系により 高身長の成長期がまだ 終わっていないのでしょうか(笑)
いつも見守ってくれてありがとうございます。これからも見守っていて下さい。
両親の兄弟が多かったので、何かと集まる事が多く昔は行き来のあったいとこ達とも、年々疎遠になっていました。 母の一周忌に久し振りに話が弾み、一気に?十年前に逆戻り。 特に母方の一族は祖父母の代から、皆お出かけが大好きな事を再確認。 それ以来キャンプ、お花見、食事会と三世代が十人以上は集まり、とてもにぎやかだけど懐かしく癒される貴重な時間と空間。 いとこと付き合っている人が殆どいないと聞き、これからも大事にしたいと思っています。
私は生まれも育ちも北海道ですが、曾祖父の時代に静岡から北海道に来たようです。行ったことのない土地ですが、テレビなどで静岡の話題になると何か気になります。
私の父は子供のいなかった伯父さんの養子になりました。 その伯父さん夫婦は、若い頃台湾に行ったり、 北海道の余市に入植したりと苦労話が伝わっています。 結局その後、故郷の宮城県に帰るわけですが、 弟一家は頑張って残ったと聞いています。 私は宮城県で生れ日本の半分を転勤で歩き、 最終的に札幌に落ち着きました。 こちらで同姓の人に会うと、ひょっとして親戚なのではと思ってしまいます。
お迎えは順番通りと小さいころから言われてきましたが、中学生あたりからそうはいかないんだという現実を知った。
ご先祖様のお墓参りにはいつも見守って頂き感謝の気持ちを申し上げております。
線香をたいてないのに目の前を通るようににおいがするときがります。きっとご先祖様が帰ってきたのかなーと家族と話しています。
皆さん有難うございます。
お嫁さんたちに「親戚同士仲が良いのですね」と言われ、たしかにそうだな~と思います。これって、やっぱり今は亡きおじいちゃん、おばあちゃんのおかげだな・・・。嫁ぎ先でも同じことを感じます。
私は自分の名字に誇りを持っています。前に苗字の本の北海道ならではの苗字ランキングで1位に自分の苗字が入っていました。学校やバイト先などでも珍しい名前だねとすぐに覚えてもらえます。ですから、ご先祖様には感謝しております。前に親からご先祖様はロウソク作りをしていたからこの苗字なんだよと教えてもらったのですがそれは本当なのかもお聞きしたいなといつも思いますがそれはいつか自分がご先祖様に会えた時に確かめたいと思っています。
とても素敵な英国紳士のようなおじいちゃんでした 。会いたいなぁ。
いろんな場合に遺伝ならしょうがないと、あきらめられます(笑)
ごぶさたしております。
私の母方の先祖は、今やマッサンで有名な余市に、それも森野熊虎という網元同様に、ニシンに夢を追った網元でした。ニシンの不漁で夢は泡のごとく消え、一時期為した多大な財産は、2代目・3代目が一晩で蔵一つがなくなるような放蕩な生活を続けた末にすっかり無くなってしまったそうです。今や自分も含めてほとんど誰も訪れることがなくなった一族の壮大な墓は、すっかり古びて荒れています。この夏は、マッサンブームに乗るわけではありませんが、久しぶりに一度訪れてお参りし、先祖を想うと同時に、自分のこれからの生活や終活についても改めて考えてみたいと思います。
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ありがとうございました
ご先祖様にもし、会うことができたなら聞いてみたいことがあります。 ご先祖様になる前はこっちの世界で生きていて、そちらの世界に行ってからご自分の先祖様に会えましたか?そちらではどんな話をしているのですか?肉体のない精神?だけの世界ならば、次はどんな姿かたちで現世に降りようか、、、などと先祖様同士で話し合うのですか?
父方の祖先は雷電為衛門、母方の祖先は木曽義仲の家臣で乳飲み友達の今井四郎兼平と教えられましたが。???
自分自身が辛い時、心の中で「神様、仏様、ご先祖様」は偉大です! 我が家の実家には古い家系図があります。江戸時代くらいかな?
祖父母には可愛がってもらい感謝しています。
毎日起床して、ご先祖様に手を合わせて感謝の言葉を述べております。いつも家族を守ってくれてる気がします。ありがとう。
写真などで顔を見て思い出します
毎年のお墓参りは子供そして孫とともに出かける恒例行事です・お墓参りを終えてからの食事も又楽しみの一つで我が家が一つになれるのもご先祖様のおかげかと感謝しています・きっとず~っと受け継がれていくことと思います
ご先祖様の供養・・・年と共に疎遠になるようです。思いは十分ありますが、お墓参り等がこの老体にはきっい状況です。 ごめんなさい・・・と思いつつ自分もそろそろです。 墓参りではなくあの世での再会の日が近いようです。
ご先祖様とはご無沙汰しています。
特にない。普通(?)と同じ。 ただし、実家が道南なので、お葬式の前に火葬にしたりするのは他の地域と違う。 そう言えば、親戚に僧侶がいるが、お坊さんが亡くなるとこれもまた、内々では結構、大変。(一応、すでに出家していることになっているので。)
日ごろはあまり考えませんが、困った時に“おじいちゃん、見守っていてね”と写真に手を合わせます。不思議と心が落ち着きます。
テレビでやっているファミリーヒストリーみたいにご先祖様のことがしりたいなあ。有名人でないのが残念。
お墓参りは自営業なので店が終わり夜遅くにお墓に行きます 懐中電灯を片手に8家族20人位で行くので夜のお墓も全然怖くありません それに遅いので誰もいなくて混雑に巻き込まれる事もありません だだ夜で懐中電灯を灯すと虫が寄ってくるのが難点です でも毎年の恒例行事で大好きです
私の家族はなぜか、お彼岸や命日の前になるとご先祖が夢に出てきます。それを知ったのは私が小学生のときに亡くなったおじいちゃんが亡くなった一年後に夢に出てきた時です。それまで亡くなってから一回も夢に出てきていなかったので、両親にそのことを伝えたところ「○○、明日はおじいちゃんの命日なんだよ。」・・・と。なんとも言えぬ思い出です。
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何となくいつも気になる
昨年末に亡くなった祖父へ。 「おばあちゃんには会えましたか。 楽しみにしていた孫(私の甥)のランドセル姿、お二人で見守ってくださいね。」
ふとした折に「守られてるな」と思うことがあります。ご先祖様に感謝感謝。この気持ちを子供たちにも伝えていきたいです。 こうゆうことを思い起こす良い機会になりました。
今の自分の存在はご先祖様のおかげ。日々感謝の毎日です。
遠く離れて北海道に長く暮らしています。お墓参りも滞ってしまいました。ご先祖様には申し訳なく思っています。定年退職してから、ゆっくりお参りしたいと思っています。
とにかく生きているおじいちゃん、おばあちゃんを日々大切にしたいと思っています。
いつも見守ってくれてありがとう
我にお力添えを!
ほとんど何もしてないので、失礼いたしました。
ご先祖様、バツイチのままで終わりそうです。 私の代で終わりそうで申し訳ありません。
先日祖母を亡くし見送ったばかりです。大事にだけしてもらって何も出来ずにいたなと反省しきりです。なのになぜか近くにいて守ってくれているような気がします。愛するだけ愛してもらって感謝の気持ちしかないです。10歳の甥にもその愛は伝わっていたようでお見送りのときに号泣していました。その方が亡くなったりいなっくなったりしたときにどれだけ愛されていたかを知るのですね。
我が家のお墓は新潟の山奥にあり、北海道在住の身としてはなかなかお墓参りに行けません。その代わり、家には仏壇があるのでおおむね朝晩手を合わせています。 朝などは時間がなくて、つい拝みそびれていますが、心の中では手を合わせています。 そのおかげ?か、これまでの人生、ここぞというときには、何か力を貸してもらえているような・・・(^^)
両親の教え、騙されても騙すな!!
いつも家族のために尽くしてくれて本当にありがとうございました
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相続のしきたり。外へ出て家を継がないと宣言すると、長男といえど総領の資格はく奪。相続放棄の宣誓署名をさせられ、親戚一同が会食して、次の総領(二男がいれば二男)を認定する。ということは末っ子は逃げようがない。また親戚の数は一定以上に広がらないように、子供たちが結婚すると祖母関係、祖父関係の遠いところから縁切りをする。この時も一同集まって宴会をする。新潟の実家です。
実家は、東北で兄が13代目にあたる農家です。農家としての経営は風前の灯火ですが、水田を大切に、動物の糞尿をたい肥として土づくりをしてきています。零細農家とともに自給を大切に兼業ですが、細々と続けている兄を非常に誇らしく思います。 誕生日を迎えるたびに、「あ~今年も、1年間命をつなぐことができた。」と年生を重ねるたびに、誕生日がいとおしく思います。それもこれもご先祖様があってのことだと改めて思います。
ご先祖様がいるから、今の私たちがいます。 なので、ご先祖様も幸せである様にと願いながらお墓に手を合わせています。 勿論、これからも私たちを見守って下さる様にとも、しっかりお願いしますけど(笑)
特にエピソードはありません。 自分の方は離れているので、なかなか墓参りに行けずにいるので、機会を作って墓参りに行こうかな…。
感謝、感謝
私は今幸せです.それも,御先祖様それぞれが銘々で代々生きてきた証だと思います. 未来の子孫が幸せを感じられるように,私自身も一生懸命に生きていきたいと思います.
弟は独身、私はバツイチですが、旧姓に戻さず、実家にも戻らず、子供と生活しています。実家のお墓は誰が守り、私は死んだらどこに葬られるのでしょう。
いつも見守ってもらいありがとう御座います。
先祖は北海道を開拓した屯田兵 歴史的にも新しいのでしきたりや文化もこれといってありません。おかげさまであまり縛られることなく自由に暮らしています。ありがとうご先祖様。
父は両親を早くに亡くし,若いころは大変苦労しました。戦後,胃の病から身体を壊し,頼る身寄りもないときに,お世話になった漁師の網元さんの厚意により何とか生活できるようになりました。決して弱音を吐かない,過ぎてしまったことにいつまでもこだわらない強い人でした。自分も年をとって親の強さ,大きさがわかるようになりました。父も母も神仏を大切にする人でそれは跡取りである弟にも受け継がれています。
両親が健在の時は耳を傾けず、反省してます。
毎月お墓参りしてます。と言いたいところですが、さすがに降雪期間は仏前で手を合わせております。
遠く離れていてお盆にお墓参りと仏壇を守っている兄嫁の所に寄って来るのが恒例です。両親と兄だけです、核家族になって先祖代々のお墓は数が少なくなっています。3人仲良くしているのかな~嫁に出た私は仲間に入れてもらえない。。
札幌なのでお墓参りは雪の中でいけません。うちでは5月の父の命日が一年の初めの墓参りにしています
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娘が幼い頃 お墓参りにて 掃除中に隠れてお供え物(大福)を食べていたが、口の周りに白い粉が…
お供え物は、必ずその場でたべる
何度も死にそうな事故や病気しても守ってくれてありがとう・・・・
お墓参りで掃除は、子供役目
1Fに住む89歳のお袋にも親父と同じように看取る事を約束しています。 親の死を看取れる事の大切な意味を人間として学べる事は自分の人生にどれだけ得るもの成長させて戴ける。お袋さん産んでくれてありがとう! 日に日に老いる姿を見る度心寂しさと懐かしさと大きさを目の辺りにします。
実は父が52年前、母が28年前に亡くなっていますが、子供の時には「家計」や「ルーツ」には、とんと無関心でした。ところが、最近NHKの「Family History」を見るたび、自分の話でもないのに、もらい泣きの連続。有名人の人を羨ましく思う日々です。宝くじの高額賞金にでも当たったら、是非とも自分のルーツを知ってみたいです。それと、生きているうちに一度、恐山の「イタコ」に頼み、亡き「父と母」と話がしてみたいのが長年、というが今生の夢です。
毎日仏壇に、ごはんとお参りをしてから仕事に出かけます。
父が小さいときに両親が亡くなっているので、いったいどこからなぜ北海道にやって来たのか全くわからない。そのためか先祖や家系について考えたことがない。私も子供もいないので、何も残さず土になるだけと思う。
祖父のお墓参りには、生前大好きだったお酒と缶コーヒーを持って行きます。
感謝の気持ちを忘れないでいたいです
ごめんなさいご先祖様。今年は必ずお墓参りに参ります。
昔は長男が親の世話をするという風潮がありました。主人の実家は長男一家の東京での生活の安泰を保つ為に、主人は二男で、大手メーカーの開発職に携わっていたにも関わらず無理やり退職し地方の実家に帰ってきました。人生が180度変わってしまったそうです。しがらみの中で自らの希望や夢は断ち切って親を看取りました。何という英断、数々の苦労、私は主人を尊敬しています。
おきてというものがあるわけではないのですが人に迷惑を掛けないで生きていきなさいということを守って生きたいのですが、なかなか難しいことですね。きちんと生きていきたいものですね。
遺伝なのか代々、長男が胃潰瘍を患っているので生まれてくる息子が心配です。
先祖は富山県から北海道に来たそうです。両親が結婚した時には、どちらも父親が亡くなっていたので、私はお祖父さんを知りません。 いとこがルーツをたどって富山にいったら、私の父とそっくりな人に会ったと聞いた時は、何だか不思議な気分でした。 家系図はないけど、どこかに私のそっくりさんがいるかも知れませんね。
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うちのしきたりは 早く帰ることです。 長年そういう風みたいです。
私の実家での墓参りは、必ず父の好きだった、食べ物、飲み物を用意し、また自分たちのおやつも持っていき、お供えした後、その場で食べて帰る~をしています。 お供えをそのままにしていると、なかなか遠くて行くことができないのでお墓が汚れてしまうからなんですが、私はそこで家族と亡き父の話をしたり、近況を報告しあったりと、楽しく時間を過ごすのが好きなんです。父もみんなと一緒に話が聞けて喜んでくれてると思います。
いつも、見守ってくれてありがとう。子供たちを、応援してください。
これからもお守りください(祈り)
これからも見守って下さい(*⌒▽⌒*)
名字の一党の付き合いがある。墓も並んでいる。
私はおばあちゃん、おじいちゃんより前のことはわからないのですが、おばあちゃんのように優しい人ばかりだったのかな?と思ったりします。お母さんは厳しいですが愛がありどこか、おばあちゃんに似ている気がするので。
昔から要所要所に不思議なことがあり、守られてるって感じます。ただ感謝です。
父のお骨は納骨堂に収めているのですが、その納骨堂に”水かけ地蔵”があり、お参りに行った際は、その”水かけ地蔵”様に娘の勉学がスムーズに進むよう願掛けしています。もちろん、父にも念入りにお願いしています(笑)
ご先祖さまがあっての今の私達。普段忘れがちでいますが、お彼岸お盆等には その事に改めて思いをはせる時間であると思います。このような気持ちを子、孫へ 連綿と繋いでいかなくてはならないと考えています。
両親のの家系とも頑固なので、私も頑固だと言われます。
ご先祖様 こんにちは、先祖様の遺伝子が受け継がれ、良い点、悪い点も遺伝を感じられます。 特に健康に関しては遺伝の怖さを感じます。 みんなが幸せに過ごせますようお守りください。
おばあちゃんの遺伝、モッタイナイ精神受け継がれてます。
ご先祖様には申し訳ないのですが、後を継ぐ者がいないのでお墓はどうなるのか…。一族の墓にしているのですが、未婚だったり、子供がいなかったりで…。これも何かご先祖様に関係あるのかな?
父がよくお墓参りのとき、墓前で集合写真を撮るのだが、私は心霊写真になりそうでいつも冷や冷やしている。
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お墓のあり方に悩む今日この頃です。
まさに今、親の親族の事を調べているところで、命のリレーの尊さと不思議を感じています。それぞれ縁の有った人々も含め「有難うございました」と言いたい。
先日、従姉と祖母の思い出話話をし、私の知らなかった祖母の苦労話を聞いた。反対に従姉が初耳の話を教えた。祖母が苦労に耐えてくれたお陰で、今の私達が存在することに感謝、感謝でした。もう一度逢って話をしたい!
お墓を大切にしている母を見習って、受け継いでいかなければ・・・と思ってる
去年の夏,マッサンブームで久しぶりに母の実家の余市に墓参りにいったとき, 会津藩士の血が流れているとききびっくり! 図書館で余市の会津藩士の本をみつけだし,調べてみたら,名簿などもあり,ご先祖様について少しわかっておもしろかったです。 ついでに父の方も調べてみたら・・・広島出身千歳で開拓。千歳の郷土史で調べてみたら名前がでてきて立派な人だったみたいです。 ご先祖様に恥じずにまじめに生きていかなくてはとあらためて思いました。 しかし,調べようと思うと結構調べられるものですね。楽しいですよ。
シンプルだけど変わった名字がついた理由を突き止めた時は、達成感を覚えました。でも、よくある名字にしてほしかったです。
しきたりや規則も近年決められたものが多くてご先祖様もさぞ戸惑っているのではないでしょうか?
実家のお墓詣りもしばらく行けていません。 来年末娘の受験が終わったら、久しぶりに父のお墓詣りをしたいです。 父は生前自分で戒名をつけました。 気に入った名前で、あちらの世界で、幸福に暮らしていると思います。
実家は本家だったので、仏間には先祖代々の写真が何枚も飾ってありました。でも子どもの頃は実際に会ったことのない人達だったので何とも思っていませんでしたが、祖父や父が亡くなって同じ様に写真が飾られると先祖の方々のことが身近に感じられるようになりました。
実は,よく知りません。特に父方。
長男の嫁ですが、夫は単身赴任で私が仏壇のお世話をしています。と言っても仕事をしていまして、いつも何もしていない自分に申し訳ない気持ちで一杯です。
宮城県出身の祖母の親戚が歌人「斉藤茂吉」であるとのこと、つい最近叔父からその話を聞き驚いています。いつかルーツを調べてみたい。
最近、ご無沙汰しております。
ご先祖様があり現在の自分があります。 いつも見守って頂けるように正真したいと思います。
私の髪の毛の量の多さは、遺伝だと思うのですが、一体、どれくらい前の代からものなのか知りたいです
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バックナンバー
『ご先祖様に一言』
連綿と受け継がれていく生命を「家系」から考えてみるとやはり不思議なものです。そこで今回は春のお彼岸を前に、ご先祖様への感謝の気持ちやルーツについてお聞きします。一族ならではの掟(?)やしきたり、遺伝や家系図の話、お彼岸・お墓まいりでの家族のエピソードなども!
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